日本人は、もっと母国語を大切にすべきである - 望月勇

日本人は、もっと母国語を大切にすべきである (2)

そこで、『日本語の科学が世界を変える』(松尾義之著、筑摩選書)を参照して、日本語の翻訳の歴史をみてみます。
 幕末期より200年も前に、日本人は西洋の学問、蘭学を翻訳して取り入れてきました。医学書では、杉田玄白が、「神経」「軟骨」「動脈」などを日本語に翻訳しました。そして、植物学、薬理学、天文学、物理学なども日本語に翻訳していき、明治時代にすでに日本の科学は世界の水準に達していたのです。

 

 たとえば、破傷風の研究で第一回ノーベル賞の最終候補となった北里柴三郎、櫻井錠二による沸点測定法、高峰譲吉によるタカジアスターゼの発見、志賀潔による赤痢菌の発見、南方熊楠の海外での活躍、長岡半太郎の土星型原子モデル、池田菊苗の旨味の発見など、世界のトップクラスの成果をあげています。

 

 日本語は、江戸時代に先人達によりオランダ語から日本語へ翻訳され、明治期になっても福沢諭吉や西周など多くの先人たちにより、英語から日本語へ翻訳され続けていきます。今では世界中のどんな本でも翻訳できます。
 そんな日本語の歴史にも、日本語のローマ字表記論という受難がありました。かなりの著名人たちにより、日本語の漢字やひらがなやカタカナなどの表記がわずらわしいという理由で、日本語の表記を全部ローマ字表記一本にすべきだという意見でした。

 

 もし日本語がすべてローマ字表記になっていたら、きっと韓国のハングルと同じ運命になっていたことでしょう。韓国では李朝までは漢字を使ってきましたが、簡単に誰にでも読めて書くことができるようにと、漢字を捨ててハングル文字にしたのです。
 誰にでも読めて、簡単に書くことができることはよかったのですが、ハングルで「シンパラム」と表記すると、「新風」 「神風」 「信風」 のどれなのか分からないのです。これでは、母国語によるまともな科学ができないのです。この問題は、ベトナム語も同じだそうです。また、漢字文化を捨てたことにより、歴史書も読めなくなってしまったのです。今中国でも、科学や医学用語はすべて日本からの漢字を逆輸入して使っているのだそうです。

 

 この日本語のローマ字表記論に決着をつけたのが、1978年森健一博士による東芝で発明された日本語のワードプロセッサーでした。これで、複雑な日本語を全部表記できるようになったのです。これができたお陰で、世界の国々の言語がすべて表記できるようになったのですから、この発明はノーベル賞ものです。

 

 今や、日本の科学は世界の科学を支えているのだといえます。著者の松尾氏は、その理由を3つあげています。
 一つは、日本語の感覚が、世界的な発見を導くことです。例えば、湯川博士が提唱した中間子という言葉です。キリスト教文化の欧米では、二分法で、右か左、上か下、動物か植物、生命か非生命などで、中間という概念が欠けているのです。日本語では、仏教に、「中道」 「中庸」 などの言葉があり、中間という概念があるのです。その日本語の感覚が、中間子理論の発見を導いたのです。

 

 二つ目は、発見には異文化の科学や発想の駆動力が必要なのです。世界中が、すべて英語で考えることになったら、異文化の刺戟による発想の転換がなくなってしまい、面白い発見、発明は減少してしまいます。

 

 三つ目は、日本人は、母国語で考えることができることです。21世紀になり、毎年一人の割合で、日本人科学者がノーベル賞を受賞しています。そのアシスト賞を入れたら数え切れないほどあるといいます。そのいい例が、この前ノーベル賞を受賞した増川俊英博士です。英語を話さない博士が、超一流の英語論文を書き、世界最高の仕事をしたのですから、世界がびっくりしたのです。
今、日本人科学者に、何語で考えていますか、と聞いたら、恐らく英語で考えていると答える人はいないのではないでしょうか。