2016年インド旅行記(2) 旅と輪廻

旅と輪廻 (10)

 

 現代のテーラワーダ仏教の高僧も、輪廻とは、「ある人が、一つの生から別の生へと移るという、物語のことではありません。本当の輪廻とは、本当の回り続けるということは、この精神的と物質的のプロセスが、ずっと続いていくことをいうのです。」と述べています。これは、私が朝スリランカで目を覚ましたら、今いる場所が分からなくなり、懸命に過去の旅の出来事を思い出した体験で理解できます。過去の私が、今の私であると分かるのは、「精神的と物質的のプロセスが、ずっと続いて」輪廻していたからなのです。

 

 この輪廻が可能であるためには、一貫して変わらない自我がなければ、輪廻は存在しないのです。この変わらない自我を、ヨーガでは「真我」といいます。ブッダは、真我を否定していません。否定したら輪廻が成り立たないばかりか、ブッダ自身の存在もなくなってしまいます。単純に考えても、生まれ変わったことが分かるのは、変わらない本当の自分があるからです。

 

 『ヨーガ・スートラ』では、二つの重要な概念を提示します。「見る者」と「見られる者」です。見る者とは、プルシャといい、真我です。もう一つの見られる者は、プラクリティ(自然)といい、本当の自分以外の物すべてです。

 

 『ヨーガ・スートラ』の中に、「見られるものとは(略)、物質元素と知覚、運動の器官とから成り真我の経験と解脱とをその目的とするものをいう。」(『ヨーガ・スートラ』佐保田鶴治訳)とあります。

 

 この経典では、「見られるもの(プラクリティ・自然)」は、元素と器官の組み合わせであり、器官には、知性、心、感覚、身体も含まれるという。知性や心や感覚や身体も自然の一部なのだから、その自然の一部である心も、絶え間なく変化していると言えます。そして、自然は、なぜ存在するかというと、私たちに経験を与え、束縛から解放(解脱)するためにあるのだというのです。
 このヨーガの経典で、私は旅の本質を理解できました。なぜ5年間も、時々自己嫌悪に陥りながら放浪の旅をしなければならなかったのかを。なぜ私は、このような体験をしなければならなかったのかを。
 ヨーガが、それらの疑問に答えてくれたのです。「あなたが旅で体験した苦しみや悲しみや喜びは、自然が、あなたに経験を与え、束縛から解放(解脱)させるためにさせたのですよ」、と。
 私は、今、すべての旅は恩寵に思えます。
 特に、私の5年間の放浪の旅は、ギフトでした。宇宙からのギフトなのでした。

 

望月 勇   

 

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