2016年インド旅行記(2) 旅と輪廻

旅と輪廻 (2)

 

 やがて、海岸に、先端の尖った石造りの寺院が見えてきました。八世紀に切石を積んで建立されたその海岸寺院は、昔と変わっていませんでしたが、何かが違うと感じました。やがて、それが何かを理解できました。海岸寺院を、波頭や津波などから守るためでしょうか。海岸のはるか先に、防潮堤が作られていました。その上に木立がこんもりと茂っているため、それらに遮られて、ベンガル湾の水平線がまったく見えないのです。さらに近づいて行くと、寺院の周りに座った牛の石像が並んでいます。牛の顔は風化して、ぼやけています。これは、昔と同じ風景でしたが、寺院は波打ち際になかったのです。海辺は、かなり遠くの方へ後退した感じでした。

 

 私は、昔の寺院を思い出しました。寺院の回廊を歩いていると、時々ベンガル湾の荒い波しぶきが打ち寄せてきて、寺院の石壁が黒く濡れたものでした。私は、狭い回廊を回って、寺院の後方へ向かいました。そこに、石室があり、中央にシバ神のシンボルがありました。それは、リンガと呼ばれていて、黒い、太い上部の欠けた石の円柱でした。私は、水平線から朝日が昇ると、その光の束が、石室の円柱を照らすのを見ました。そうして、そこに座って、潮騒と風の音に耳を澄まし、水平線の上に顔を出す真っ赤な太陽を眺めていました。私は昔の静寂の時空を思い出し、今、この観光客の多いにぎやかさに、それらは、過去になってしまったのだ、としみじみと思いました。そして、それらの思い出は、私にとって大切な人生の収穫物とも言えました。

 

 私は、過去になってしまったことを、悔やむことはありません。むしろそれは、過去になってしまったお陰で、誰も壊すことの出来ない宇宙の金庫に、大切な人生の収穫物として保管されたのだ、と考えました。そして私は、観光客の多い中、石の階段に座り、目を閉じて、瞑想しました。そして、宇宙の金庫を開け、40年前の収穫物が現れ出るのを待ちました。

 

ああ、あの時の潮風が吹いている
波の音が聞こえてくる
空は青く晴れ渡り
海には白波が立ち
波頭が寺院の近くに迫り、押し寄せ
波は砕けて、寺院の外壁に散っていった

 

私は、しっとりとした砂地の上で
はだしになって、海に向かって立つ
そして、紺色の水平線から、朝日が昇ってくるのを、じっと待つ
やがて、水平線から太陽が顔を出し
海は銀色にまぶされて、きらきら輝き始めた
目を射るような光の束は、寺院の内部を射し
石室の黒御影石は、シバ神へ力を与えるかのように
光り輝いた

 

それから、私は海岸を歩いた
海辺には、少女の小指の爪のような、ピンク色の
何とも可愛らしい貝殻が、無数に散らばっていた
私は、それらを幾つか拾った
それは、今も、私の机の引き出しに眠っている
遠くの浜では、村の漁師たちが
丸太をくりぬいた原始的な丸木舟に乗って、
ベンガル湾の荒い、黒くにごった海へ
次々に繰り出していく

 

私は、旅をして
40年前に、この場所に座っていた
輪廻して、
今、ここに、在る
私は、無限を生きている

 

 この全身を包む満ち足りた波動は、至福であり、恩寵であり、宇宙からのギフトであると、私は確信しました。

 

 私は、5年間の放浪の旅で、旅の体験とは、輪廻と同じような構造ではないかという思いに至りました。そこで、私が、そのような思い至った経緯を述べてみようと思います。それは、体験でした。その体験が、のちにヨーガや仏教の輪廻を深く理解することにつながっていったのです。

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