2016年インド旅行記(2) 旅と輪廻

旅と輪廻 (7)

 

 一月中旬、朝から雪が降って、道路は白くおおわれていました。
 私は、午前八時に、カブールにあるパキスタン政府のバス発着所へ行きました。そこに集まっている人々の中に、アフガニスタンのヘラートで会ったカナダ人の女性がいました。ヘラートのモスクの前で、ムスリムの老人に、顔をあらわにしているといって、ひどくののしられた彼女は、スカーフをしていました。

 

 乗客の荷物を、バスの屋根にのせている時、「バクシーシをよこせ」と、バスの屋根にのっている男が、私を見下ろして言いました。私は、風邪をひいて頭が痛く、おまけに体の数ヵ所を南京虫にかまれて、気分がむしゃくしゃしていました。私は、心の中で、バクシーシとお前の仕事は関係ないだろう、と思って、「ノー」と言いました。ちょうどポケットに小銭もなかったのです。すると、男は、つかんだ私のリュックサックを、ドサッと雪の上に落としました。私は、かっと頭にきました。が、後ろのスイス人の青年が、とっさに気を利かし、男に小銭を渡したので、何ごともなく済みました。私は、「ありがとう」と、その青年にお礼を言いました。

 

 パキスタン政府のバスは、午前八時三十分に出発し、十一時三十分に、ジャララバードへ着きました。
 そこで、昼食を済ましたあと、バスはそこを十二時に出発して、トルカムというアフガンとパキスタンの国境に着きました。その前に、通行税を五アフガニ取られました。それから、パキスタンの国境事務所へ行き、入国スタンプを押してもらいました。
 スイス人の青年が、どこかへ行ったきりバスに戻ってきません。バスの運転手は、三時三十分まで待ちましたが、とうとう彼を残したまま出発しました。私は、何となくその青年のことが心配になりました。

 

 この国境では、すごい砂嵐が起きて、空が茶色い砂ぼこりにおおわれて、暗くなりました。それから、標高約千メートルほどのカイバル峠を、すごい急カーブで、くねくねと曲がりながら下って行きました。その峠の途中に、昔、英国軍がアフガンへ侵攻した時作られた鉄道の残骸が見えました。
 このカイバル峠は、古代からインドと中央アジアを結ぶ交通の要所だったのですが、今こうしてバスから見ると、砂漠のような何もない峠で、昔ここを歩いて越えるのは、さぞかし大変だったろうと思われました。
 峠を越えると、雨がぱらついてきました。気温も暖かく、雪から雨に変わったのです。

 

 バスは、夕方五時に、ペシャワールのガレージに着きました。私は、スイス人の青年のリュックサックを受け取って、バス会社のオフィスへ事情を話して、それを青年が来るまで保管してもらうことにしました。それから、旅行者三人と馬車で相乗りをして、安ホテルへ向かいました。リュックサックを開けると、私は砂糖を盗まれたことに気がつきました。他の人たちも、砂糖や薬などを盗まれたといいます。私は、きっとバスの屋根にのっていたあのバクシーシ野朗の仕業だ、と思いました。

 

 パキスタンへ入ってから、急に暑く感じられました。私は、皮のコートを脱いで、薄着になりました。それと、食べ物が、すごく辛く感じ、慣れるまで閉口しました。
 翌日は、朝からバザールを歩きました。ここは、雨が降ったのと悪臭を放つどぶ水のせいで、道がぬかるんでいました。そのひどくぬかるんだ道に、ハンセン病のために、かかとがなくて白い骨が見えている女が、じかに座り込んで、片手を出して物乞いをしています。そのような物乞いの人々が、あちらこちらにいて、それと現地の買い物に来た人々と物を売りにきた人々がごったがえして、混沌としていました。

 

 昼食後、私は、ペシャワール博物館に出かけて、ガンダーラの仏像を見学しました。ギリシア美術の影響を受けた仏像は、優美な姿をしていました。
 私は、ガンダーラの人物像には、写実的な身体の美が隠されているように思われました。この私の直感は、後年、次のようなエピソードを知って、間違っていなかったと思います。
 そのエピソードとは、このペシャワール博物館を訪れたある医学博士は、二千年ほど前につくられた人物像の左足に注目し、そのほとんどの左足の膝が右より大きく強調されていることに気づきました。そして、実際に成人の遺体を解剖して膝蓋骨(ひざ皿)を計測してみました。そうしたら、統計的に左足の方が右足より大きいことが分かって、古代のペシャワールの人たちの観察力に舌を巻いた、というような内容でした。

 

 夜中の一時頃、私は、急にお腹が痛くなり、下痢をしました。それと、鼻水が止まらなくなりました。
 翌朝、私は、銀行で両替をしました。この銀行には、レートも何も表示されていません。七米ドルで、六十三パキスタン・ルピーでした。私は、受け取るとすぐ、カウンターで紙幣を数えました。すると、十ルピー不足していました。私は、大声で、「十ルピー少ない!」と叫びました。銀行員の男は、顔の表情を変えることなく、だまって不足分を出しました。

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