望月勇プラーナヨーガ気功 エッセイ ヨガの友として共に生きた、かけがえのない日々

ヨガの友として共に生きた、かけがえのない日々 (5)


 本当に楽しい、幸せな時間を3年間で味わいました。それぞれが、きちんと望月先生のヨガを他の方たちに伝えていましたので、病気というきっかけがなければ、私たちの楽しい3年間は、今生では訪れなかったかもしれません」 Cさんはそう述懐します。

 2017年1月18日、大谷さんは、仙台のCさんのお宅を訪れました。病院の帰りでした。ほとんど何も食べていないので、階段を上る時は力がでない様子で、歩けることが不思議でした。
 「腹水を抜くために入院するつもりです」 と大谷さんは言って、「あと二つやることが残っているの。一つは行くべきところがあって、もう一つは母の所へ行って『ロンドンへ行くことになったから、しばらく戻らないから、元気にしていてね』と伝えにいくの」 とおっしゃっていたそうです。
 後で分かったことは、一つの行くべきところとは、1月19日に難病連へ、しばらくヨガをお休みします、と伝えに行くことだったのです。そして20日に母親とお会いしていました。

 Cさんは、こんなふうに語ってくれました。
 「私も大谷さんも、望月先生の教えの中で、『ヨガを行っていると、寿命の3日前に、それに気づくことができる』 ということが、とても心の支えになっていました。3日前に分かるのだから、それまではどんなにつらくても大丈夫だから、心配しないで、毎日を精いっぱい生きていいのだと。だから、いつ死ぬのかなあと、毎日心配して生きるよりも、3日前に気づけることを信じて、楽しんじゃおうということです。どんなに痛くても、つらくても、3日になるまでは動けるのだということは、私たちを死の恐怖から解放してくれました。今思うと、大谷さんは、見事にそれを実践されて、旅立たれたのです」

 大谷さんは、Cさんのお宅から帰る時、「腹水を抜いて、うまくいって、体力がついたら、また来るね」 といったそうです。
 たまたまCさんのご主人が家にいたので、仙台駅まで車で送ってあげました。3人で車内で初めて話しました。それは、「不思議な空間でした。なんかとても穏やかで、ずーっと昔も、3人で話していたことがあるなあと感じました」
 そして、Cさんは、大谷さんを新幹線の改札口まで見送りました。ハグをして、次に会うことを約束しました。ハグをしながら、大谷さんの背中を何度もさすりました。大谷さんも、Cさんの背中を、ポンポンとたたいてくれました。

 4月になっても大谷さんからのメールは、Aさんの携帯に一切返答が来ません。
 以下、Aさんの報告です。
 「Cさんが、大谷さんに最後に会ったのは今年1月18日、錦ケ丘の自宅に来た時でした。以前から大谷さんは 『腹水が溜まっているので入院すると思う。私がもしお星様になっても何の後悔も不幸もない。万が一の事があっても盛岡に来ないで。Aさんにもそう伝えて』 と、言っていたそうです」

 「1月からかけ続けた大谷さんの携帯電話が自動音声 (「お客様の都合によりかかりません」) に変わると、私はいよいよ大谷さんの事が頭から離れなくなってきました。携帯会社に相談に行くと、おそらくこのままでは4月末で電話が止められるでしょうと言われた事をきっかけに、思い切ってその週末に盛岡へ向かいました。住居は聞いていなかったので、手がかりはかかりつけの病院だけでした。出発前日に大谷さんの好きなピンクの花束を準備し、病院のベッドで陽気に笑っている大谷さんを強くイメージして、2人でおしゃべりする場面をリアルにしっかり想像して、その夜眠りました。
 しかし、翌日行ってみると病院は個人情報に厳しく、何人もの看護師さんに問い合わせても詳しい事は教えてもらえませんでした。わかった事は、大谷さんは今この病院にはいないということだけでした」


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