2017年11月チベットとネパール思索の旅

チベットとネパール思索の旅 (6)


チベットでの瞑想

 チベットのラサのホテルで、ヨーガのアーサナと呼吸法と瞑想をしました。
 標高が高いので、強いアーサナと呼吸法はひかえました。激しい動作をすると、高山病になりやすいからです。
 中でも、標高4,500メートルの高地にあるヤムドク湖での瞑想は、忘れがたいものでした。ラサからバスでカンパラ峠を目指して向かいます。
 途中に、世界で最も高い高地を流れる幅の広いヤルンツァンポ河を渡り、その河沿いの支流をさかのぼってバスは走ります。
 河の両岸や洲に多くの樹木が生い茂っていますが、周りの山々はまったく緑のない岩山です。時々、小さな部落が点在して、河沿いや山の上に、鳥葬する場所にタルチョがひるがえっています。タルチョとは、経文や呪文を刷ってある5色の旗です。

 やがてバスは山裾を回り込みながら、どんどん坂道を登って行きます。高くなるにしたがって、眼下には山と山の間に深い谷間が見え、山の斜面の所々に白い氷のようなものがあります。
 周囲の山々は、さらに高く連なって、行く手をふさぎます。そうして、一番高い峠に到着してバスを降りると、そこは標高4,750メートルのカムパラ峠です。幸い風がないので寒さはそれほど感じません。お天気がよく、ちょうど青い空が広がっていて、大きなエメラルド色のヤムドク湖と、周囲の山々が遠く連なって見渡せます。チベット語で、「トルコ石の湖」 と呼ばれている意味がよく分かります。
 両手と両足がジンジンしびれている感覚と、歩くと足が重い感じがし、ちょっと無理をすると息が荒くなることで、この峠の高さを実感できました。
 私は、アフリカのタンザニアで、若い時にキリマンジャロへ登ったことがありました。今では笑い話ですが、キリマンジャロが標高5,895メートルもある山だとはつゆ知らず、赤道直下の町で防寒具と登山靴を借り、ガイドとポーター代を払って、6人の登山グループに加わって登り始めてしまったのでした。
 3日、4日とかけて登っていくうちに、大変な所へ来てしまったと嘆きました。一番高い山小屋、キボハットではノートが床に落ちた音だけで、耳にガーンと衝撃が走りました。山の斜面を一歩踏み出すだけで大変な疲労感があり、吐く息でひげが氷付きました。そのような昔の思い出が、映像のように出てきました。

 その峠を下って湖のほとりまで行きました。湖といっても標高4,500メートルもあります。そして、ヤムドク湖の表面は青く、水は澄んでいました。ガイドさんが、小さい魚が沢山いますが、チベット人は魚は食べません、と言うのを聞いて、私は、「魚は……魚は……」、と思って、そこから先の、「どこからやってきたのだろうか」、という頭の思考が働かないのです。この時私は、ふと、「純粋経験」という語を思い出しました。

 この空気が希薄で、思考がストップした状態は、哲学者、西田幾多郎の「純粋経験」の世界に似ています。どういうことかというと、目の前にある湖を眺めている、この瞬間、自分に見ているという意識(主観)がないので、向こうに湖があるという意識(客体)がないからです。「純粋経験」とは、主観と客観が分かれる前の意識状態だからです。西田は、この純粋経験こそが、本物の実在だとして、ここから道徳や宗教など全てを考え直し、その研究成果を、『善の研究』 としてまとめたのです。

 ところが、この「純粋経験」という考え方が、世界の哲学史の中でも特異な存在で、難解なのだそうです。私は、このヤムドク湖で、なぜ難解なのかが理解できたようです。それは、意識は言語で、西田のいう「純粋経験」は意識のない世界、つまり言語のない世界のことを述べているからだと思います。

 今までの哲学の一般的な風潮は、『存在とは言語』 であるということでした。言語学や精神分析学や哲学の世界でも、言葉のない世界を認めていません。「言語の限界が世界の限界」なのです。聖書でも、「始めに言葉があった。言葉は神であった」 と言っています。

 私は、今、この空気の希薄なチベットにいて、思考のストップした状況で、言語のない世界はあるという実感を持ちました。この言語のない世界は、それを体験した人しか分かりません。それを説明すればするほど、言語のない世界とは程遠い世界になってしまいます。

 ヨーガでは、心の働きを止めることがヨーガである、と説きます。心の働きとは言語です。そして、言語のない世界に本当の自分、真我が現れ、それは宇宙そのものであり、宇宙と自分は一体である、と説きます。チベット文明の英知の流れをついでいる土着の宗教、ボン教にも、言語のない世界があります。私は、なぜヒマラヤから言語を越えた哲学、宗教が現れたのか、このヤムドク湖の体験から理解できたような気がしたのでした。

 その湖畔で、お昼を食べる前に、30分瞑想することにしました。雑念は出てきません。ただ澄み切った、冷たい空気を鼻で感じ、…… 目を閉じました。

私は、時間と場所の感覚がなくなったようです。
…… 目を開けると、もう30分が過ぎていました。
エメラルド色の湖が、湖であるように、
天空の三つの雲が、雲であるように、
湖と雲は、ただそのように在る ……

 そして、アボリジニが青い空を見つめて、宇宙と一体となる 「ドリームタイム」 に思いをはせました。

ヤムドク湖の雲
(#5) ヤムドク湖の青いUFO。著者撮影

ヤムドク湖の雲
(#8) ヤムドク湖の雲1。著者撮影

ヤムドク湖の雲
(#9) ヤムドク湖の雲2。著者撮影

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