2017年11月チベットとネパール思索の旅

チベットとネパール思索の旅 (8)


ネパールのポカラへ

 チベットのラサからネパールのカトマンズへ着くと、下界へ降りた感じがして暑く感じられました。アジアの古都といわれたカトマンズは、2015年の大地震で美しい世界遺産の建物が殆ど壊され、ほこりっぽいし復旧もおぼつかないので、町へ行くことは控えました。その代わりに、ネパール最大のヒンドゥ教寺院パシュパティナートを訪れ、川辺のあちこちで遺体を焼いている煙を一杯吸ってしまいました。

 翌朝、プロペラ機で20分くらいの所にあるポカラへ出かけました。眼下に見える山々は緑に覆われて、段々畑が山頂からていねいに作られて山裾へ広がっています。その低い山の幾つかの重なりの向こうに、ヒマラヤ山脈が白い雪に輝いて見えます。

 やがてプロペラ機は、ポカラの小さな空港に着きました。空港からアンナプルナの尖った山の頂が雪で白く見えていました。ここから、ジープに乗って合宿場所の「はなの家」へ向かいます。

 「はなの家」は、ポカラから17㎞ほど離れたアムスタの村のリゾート地にあります。ジープは、町中を抜けて部落に入り、細い山道を登り、洪水に流されて、大きな石がむき出しになった急な斜面のでこぼこ道を、車体を大きく左右に揺らしながら走って、やがて開けた丘の上へ到着しました。このアムスタの村は、標高1,400メートルくらいで、チベットから比べるとずいぶん体の動きが楽に感じられました。

 「はなの家」からは、正面に緑豊かな山が見えました。その山の上の向こうに、雪で輝くアンナプルナ山系が聳え、7,000メートル級のヒマラヤ連山を180度見ることができました。そして周囲の山腹から平地へ段々畑が拓け、部落が点在し、川も見えました。

 お昼ごろは、アンナプルナ山系の山々は、雲に覆われて、ほとんど見ることはできませんでした。ところが夕方から少しずつ雲がなくなっていき、白い山の威容を見せ始めました。そして、早朝になるとすっかりと雲は消え去って、冷たい澄んだ大気の中に、白いヒマラヤの山脈が現れたのでした。

 はなの家の周囲を散策しました。庭には樹のような赤いポインセチア、ケイトウ、朝顔のようなヒルガオ、白いジャスミンや、花壇には黄色いマリーゴールドや、道端には大きなススキの穂がありました。段々畑にお米が実り、ヒエやアワの畑もあり、農家の藁葺きの家を見ると、何となくのどかな雰囲気でした。それは、昭和の時代に見られた地方の農村の風景そのもので、どことなくなつかしさを感じさせるのでした。
 そして、農家の間の道をぬって登り、小中学校の小さな校舎にでました。学校は休みで、バラック小屋のような校舎は閉まっていました。庭の大きな樹に、赤い花が咲き乱れていました。よく見るとその花は、樹に巻きついたブーゲンビリアでした。

 校庭は、狭い丘の上に丸くフェンスで囲われて、そこから周囲を360度を見渡せ、谷間に部落と川を見ることができました。その校庭の片隅に、ヒンズー教のサラスワティーという学問の神様(日本では弁財天という)のお堂がありました。そのお堂の木立ちの空に、何となく親しみを感じたので写真を撮りました。そこに、UFOが写っていました。(#6, 15)

ポカラのUFO
(#6) ポカラのUFO.著者撮影

ポカラのサラスワテー
(#15) サラスワテー(弁財天)のお堂。著者撮影


 午後、夕食前に、ヨーガのアーサナ、呼吸法と瞑想を行ないました。陽が沈むと気温が一気に下がり、風がでてくると体感温度が下がってきます。
 辺りが闇に包まれてくると、前の山腹にある家々に灯がともり、それが点在している様子は、星々のようでした。しかし、さらに暗くなると、空に本物の星々が輝き始め、どんどんと数を増し、そして、大空一杯満点の星空になりました。

 芝生の上のヨーガマットに横たわり、夜空を見渡すと、宇宙と一体になった感じになるのです。ときどき、流れ星が流れていきます。
 私は、昔、シナイ半島を野宿しながら歩いた時のことを思い出しました。
 その思い出は、私の心の金庫の中から、流れるように出てきました。
 そして、大空の闇夜の星空に、あの沙漠の民、ベドウィンの男が現れました。白衣に身をまとった男は、腰に半月刀を差し、駱駝にまたがり、私の方へ向かってやってきました。
 私の胸は、高鳴りました。
 「サラーム!(平和でありますように)」 と私は心の中で叫びました。
 男は、気が付いたかどうか分かりません。

 そこで、私の幻影は、消えました。40年前の記憶が、心の金庫からよみがえった瞬間でした。

 その夜の星空を写真に収めた人がいました。添乗員さんでした。彼女が写真を撮っていると、ふっと青い球が中空に現れて、急に手足がぴりぴりとして動けなくなり、なにか結界があるようだったといいます。あとでその写真を見せてもらうと、その星空の中空に、青い球が写っていました。(#16)

アンナプルナの夜空
(#16) ポカラの星空。中央に青い球が見える。

 これは、私が、アカシックレコード(宇宙の記録)を引き出したので、その記録をじゃまされないために結界ができたのではないかと思います。結界とは、聖なる空間で、じゃまが入らないようにするバリヤーのようなものです。

 結界で思い出しましたが、ヨーガの教室で結界ができていると感じたことが何回かありました。その時は、参加者の誰かが気づくこともありました。
 ある女性が、彼女は幼少から霊感が強いと言っていましたが、最後のシャバアーサナでリラックスしている時、手足がびりびりして前方が明るく感じたので、頭をもたげて見ると、私の坐っている左右に、光った二本の柱が立っているように見えたと話してくれました。

 また、15年ほど前に瞑想合宿に参加された女性は、呼吸法の後、先生が、「消えかかったのです。先生が呼吸をするたびに、顔がチカチカしながら薄くなっていくのです。そして顔も中性っぽく変化していくのです。呼吸の息継ぎの時に一瞬パッと顔が薄くなってきたのが戻るのです。目の前で見ていたのですが、もうびっくりしたのを通り過ぎました。でも先生はまるで何でもないかのようにけろっとしているのです」 という感想を寄せてくれました。

 朝起きて外をみると、大気は澄んで、雲一つない快晴です。正面のアンナプルナのヒマラヤ山系の山々が、くっきりと姿を現しています。
寒くないように防寒対策をして、東の空の日の出を見ます。午前6時半ごろ、東の山の稜線が、じょじょにオレンジ色に染まって、やがて赤い日が顔を出しました。ご来光です。
 その瞬間、アンナプルナの峰々の天辺が、朱に染まりました。太陽は意外に速く、どんどん昇り、とうとうアンナプルナの雪を、赤々と輝かせました。荘厳な景色でした。
 私たちは、山へ向かって、瞑想を始めました。その光景は、見る人の心の中に染みわたりました。誰も壊すことのできない金庫に、永遠に保管されたのです。

 私たちは、ポカラ滞在を切り上げてカトマンズへ戻ると、夕闇の迫った交通渋滞の道を抜け、ボダナート寺院へ向かいました。ここは、世界のチベット仏教の中心地で、直径27メートルの石造りドームがあり、仏舎利が収められているユネスコの世界文化遺産です。一般市民やチベット仏教徒の巡礼の人々で、塔を時計回りにまわり、途中に何千もある灯明の炎が、ゆらゆらとまばゆく輝いて、幻想的な雰囲気を醸し出しています。

 翌朝は、カトマンズ最古の仏教寺院スワンヤブナート(目玉寺)へ行き、観光客の来ない静かなお寺の境内で皆さんと瞑想をしました。私の背後に、サルたちが集まってきているのが分かりました。この瞑想も、深い静寂に浸ることができ、忘れがたい思い出になりました。

 その後、ネパールの古都、パタンへ行きました。ここは、ネパールのヒンズー教徒が多い中で、住人のほとんどが敬けんな仏教徒で、建築物の美しい落ち着いた町でした。ここで、旅行社の現地社員のご実家へ案内されて、お茶をいただきました。その男性はちょっと浅黒い肌ですが、日本語を話すと日本人そっくりでした。苗字をシャキャといい、お釈迦様ゆかりの釈迦族の末裔でした。歴史の本で釈迦族という活字を見ましたが、実際にその末裔を目の当たりにして感動しました。昔、どこか忘れましたが、お釈迦様の生誕地ルンビニから出土したというブッダの肖像を見たような気がしました。そのお顔に似ているように思いました。その肖像画は、大英博物館に保管されているというのですが、今となっては、私が見たのは、あれは夢だったのかとおぼつかなくなりました。


 旅から帰って、参加者から多くのメールが届きました。その中から三つご紹介することにします。

「初めての高地への旅は、今までの人生で経験したことが無いほど毎日自分の体と向き合わずにいられない状況でした。 先生と一緒に毎朝毎晩ヨガと呼吸法をしながら、自身が何とか順応出来たことに深く感謝しました。
昨年の強烈なエネルギーを放つインドとは対照的に、チベットのひたひたと自分の内へ向かっていく様なエネルギーは感慨深いものがありました。

初日から毎回素晴らしい瞑想ができましたが、チベット最後の朝に先生のお側でさせて頂いたヨガと瞑想は格別で、先生のお話には涙が止まりませんでした。 なんとも「慈悲の心」に包まれた気がしました。 その後、チベットを離れてからも数日間その感覚と共に「暖かい涙」が流れました。
今も信仰心が篤い人々が住む聖なるチベットを訪れ、自分の目で見て感じる事が出来ました事はとても貴重な体験で、 私の大切な宝物です。 ありがとうございました。」

「先生が最後のヨガでおっしゃっていた言葉が忘れられません。
魂が喜ぶことをして、その経験を心の金庫にしまったら誰も壊すことはできないし、そこからまた取り出して見ることができるから何も悲しんだり去ることを残念に思うことはない。
それがその人の財産になって、それがたくさんあればこの人生もいい人生だったと最期思えると。
そのお話を伺ってなぜか涙がでてきてしまい、東京でもその言葉を思い出すとなぜか
電車に乗っていても涙がでてきます。
昨日と今朝瞑想をしましたが、本当にあの湖や満月の様子がありありと心にうかび
涙が止まらなくなってしまいました。本当に心の金庫から取り出せました。
どうしてこんなに涙がでるのかが自分でもわからないのですが、涙がでてきます。」

「旅行中ははっきりとは分からなかったのですが帰国後しばらくたって何かが変わったと強く感じるようになりました。瞑想をすると雪をかぶった雄大なアンナプルナ暗闇に輝く満天の星がすぐに浮かび上がり深いリラックスの状態になりエネルギーに満ちた気持ちになります。
先生とご一緒させて頂きました事が本当に有難く感謝の気持ちでいっぱいです。」


           

2017年12月21日  ロンドンにて記す     望月 勇




<<前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8