太古、人類の祖先は古細菌であった 1-4

太古、人類の祖先は古細菌であった 1-4

細胞膜の感覚
 ところで真核生物から進化した人類は、皮膚に覆われています。その皮膚は、ゾウリムシで言ったら細胞膜にあたります。海から陸上に上がった動物は、皮膚があります。体の水分が逃げないように、細胞膜は薄い弾力性のある皮膚に進化して水分を包んでいるのです。
 実は、ゾウリムシが細胞膜で障害物をよけたり、高温、低温、酸性、アルカリ性を避けたり、細菌を補食して食べたりするのは、細胞膜の感覚によって判断するのです。
 それと同じように、人間の皮膚にもそのような感覚の能力があるというのです。それらは、聞く力、見る力、味わう力、嗅ぐ力、また予知する力、考える力、記憶する力などだそうです。(『驚きの皮膚』傳田光洋著、講談社)

 ロゴスに席巻された世界では、このような事実は無視される可能性がありますが、ピュシス的立場の詩人たちや科学者たちは、昔からマイナーな存在で理解されず、異端視されてきました。粘菌学者南方熊楠は変人扱いされ、「棲み分け理論」の人類学者今西錦司は「科学的でない」と言われ、動物学者ユクスキュルは観念的だと批判され、詩人ウイリアム・ブレークは生前は理解されませんでした。二十九歳で夭折したドイツ・ロマン派の詩人・思想家ノウ゛ァーリスも、同時代人に揶揄されましたが、こんなことを述べています。
 「魂の座は、内界と外界が接するところにある。内界と外界が浸透しあうところでは、浸透する箇所はどれも魂の座となる。」(『夜の賛歌・サイスの弟子たち他一篇』ノウ゛ァーリス作今泉文子訳、岩波文庫)
 これは、分子生物学者福岡伸一が、いのちは図で示された細胞にあるのではなく、細胞の内側と外側のあいだの細胞膜にある、と述べていることと共通しています。

 哲学者池田善昭と福岡伸一の対談で、こんなやりとりがあります。

  • 池田:
    「場所」をいうのは面白いことに、「あいだ」を意味する概念なのです。福岡さんが細胞膜を「あいだ」とよんだでしょう? 膜というのは、細胞の外側と内側のあいだなんですよね。
  • 福岡:
    そうですね。別に実在する線や輪郭ではないんですよね。
  • (略)
  • 池田:
    (略)福岡さんの生命科学でいえば、生命現象は細胞に関係している、と。しかし、細胞の中が問題にされることはあっても、細胞の膜を問題にした人はあまりいなかったのではないですか?
  • 福岡:
    そうですね。ただ輪郭だと誰もが思っていたわけです。
  • 池田:
    ごく最近ですよね。膜の研究がなされるようになったのは。
  • 福岡:
    その通りです。細胞の中にいのちがあるかっていうと、どうかな・・・・・・。要するに、「あいだ」にいのちがあるんです。あいだで行われるものや情報などのやりとりの中にいのちがあるんです。(略)

(『福岡伸一、西田哲学を読む』池田善昭、福岡伸一、明石書店)


 それでは、ここでウイルスと物質の「あいだ」について考えてみましょう。
 池田は、「あいだ」の思考について、「時間」 と 「空間」 というときの 「と」 というのは、時間でも空間でもないといいます。時間と空間というのは、相反するものであるが、次々に起こる存在の秩序において一つになっている。これは、西田のいう 「絶対矛盾的自己同一」 または、「逆対応」 ともいえるが、時間は空間にたいして逆に対応している、というのです。これを池田は、「包まれつつ包む」 という表現で説明します。
 ここで私も、ウイルスの結晶について、池田の表現を借りて説明してみます。すると、こうなります。
 ウイルスは物質に包まれつつ、ウイルスは物質を包んでいる。
 ウイルスは細胞に包まれつつ、ウイルスは細胞を包んでいる。
 このように考えてくると、ウイルスは物質であり、生物である。ウイルスは物質から生まれた生物だとしたら、生物は物質から生まれたとはいえないでしょうか。
 しかし、私のこの考えは、ロゴス的視点で考える分子生物学では、否定されることでしょう。ロゴスでは、生物は三つの条件を満たさなければ、ウイルスは生物ではないと認めないからです。

 横道にそれましたので、また皮膚に戻ります。
 人間の耳には聞こえないハイパーソニックサウンドという高周波がありますが、皮膚にはその高周波が聞こえるそうです。
 たとえば、首から下を防音にして高周波(ハイパーソニックサウンド)を聞かせると、耳で聞いているのに脳では高周波を感じないのです。ですから、音楽はライブで聞かないと本当の音は伝わらないのです。そこで思い出したのが、ブッダの面授です。人と人が向き合って、手ぶりを交えて肉声で話すことで、心に伝わるというのです。これは耳からだけではなく、皮膚が聞くからなのです。詩人ノウ゛ァーリスの言葉、「魂の座は、内界と外界が接するところにある。」 を思い出してください。
その高周波は伊勢神宮の古代の森や、熱帯雨林などからもでているそうです。その聞こえない高周波を浴びると、リラックスしたり、免疫力が高まったりする効果があり、ハイパーソニックエフェクトと呼ばれています。
 以前、熊野古道を歩いた時、巨木の幹に耳をあてて抱きついたヨガの生徒さんがいましたが、彼女は皮膚で巨木のハイパーソニックサウンドを聞いたのかもしれません。

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