量子論の不思議な世界

量子論の不思議な世界 9


量子論を自分の体験に当てはめて考えてみる

その二
 「48年ぶりのお花見」 のエッセイのなかで、ダブリンでのある体験を書いた箇所があります。ダブリンの遺跡のような石畳を歩いているとき、「急に足が重たく感じました。何か上からのしかかってくるような、そんな圧力を感じました。当然、歩く速度も落ちました。なんだろう、変だなと思いながら、気のせいかもしれないと考えました。」
 後で知ったのですが、そこは多くの市民が独立運動で虐殺された場所でした。そのエッセイで私は、 「心・想念(意識)が波動であるならば、そこに肉体がなくても、波動として残っていると考えることもできます。」 と書きました。

 これも、量子論で考えたらこんなふうに解釈できるのではないでしょうか。
 私たちが見ている物質(人体も)は、エネルギーの振動が減速して物質化したように見えるだけで、物質は一つのエネルギーに過ぎないのです。
 それは、アインシュタインが、世界で一番有名な式といわれる E=mc2 (E=エネルギー、m=質量、c=高速度)で、質量(モノ)はエネルギーに変わりうることを証明しました。
 この考え方を受け入れると、宇宙も地球も人間も固いものではなく(実際、量子から見たらスカスカですが)、密度が少し違うだけのエネルギーの流れでしかなくて、宇宙全体につながっていることになり、宇宙は一つのエネルギーの総合体ということになります。すると私がダブリンで感じたものは、独立運動で亡くなった人の、今は目に見えない人体のエネルギーを感じたということで、別に怪しむべきものではないと理解できました。

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