2018年9月中旬 トルコの旅 (2)

2018年9月中旬 トルコの旅 (2)

カッパドキアの光と闇
 イスタンブールから飛行機でカッパドキアまで1時間半弱で着きます。観光バスで行くこともできましたが、今回は時間がないので飛行機を利用しました。
機内から眺めると、カッパドキア周辺は、ほとんど不毛の大地で、奇岩の連なる沙漠地帯でした。目隠しされて、突然この地へ連れて来られたら、きっと地球以外の惑星と思うかもしれません。

 私は、今回この地で初めて気球に乗りました。ここでは、気球が一つの観光の目玉になっているのでした。多くの観光客が気球乗りを楽しみにやって来るのですが、あいにく風が強いと危険なので飛ばないのです。実際、気球の事故で死者もでていますので、天候しだいなのです。
 その朝は、吐く息が白くて寒かったのですが、まったく風のない素晴らしい気球日和でした。ガイドさんによれば、こんなに晴れた無風の日は、年に一回あるかないかということでした。ちなみに気球は、今から236年前にフランス人によって初めて有人飛行に成功したそうです。

 私は、子供のころに、ちょっと高い所に身を置くと、身体から魂が抜け出るような不思議な気分を味わったことがありました。多かれ少なかれ誰でも、そんな体験があると思います。
 例えば、公園でシーソーに乗って、下から上にすーっと持ち上げられる時に、何か高揚した気分になりました。また、ブランコに大きく揺られて、身体が空へ向かってふわーっと持ち上がる瞬間、魂が身体から抜けていくような高揚感に包まれたこともありました。
 そして、小学校の時に初めて自転車に乗れた時も、周囲よりちょっと高くなったサドルに腰かけて走ると、不思議な高揚感を覚えました。

 それから、ロンドンで初めて二階建てのバスに乗った時もそうでした。バスの二階はかなりの高さがあり、一番前の席(ここがいつも満席なのですが)に腰かけて外の景色を眺める行為は、理由もなく気分が高揚したものです。ある時などは、時間を忘れて終点まで乗ってしまったこともありました。
 そして今まで一番高い場所へ登りつめたのは、鹿児島中央駅の真上にある観覧車に乗った時でした。それも、かごの下がシースルーになっているものでした。その為、私は、魂が、宙に浮いている錯覚に陥りました。(私のエッセイ、『観覧車』 をお読みください) 以上のような状況があったので、私は今回のカッパドキアの気球乗りは、その観覧車の体験の更に上を行くのではないかと思いました。

 早朝、まだ辺りは暗く、車は気球のある場所へ着きました。上空は寒いというので手袋や防寒具を身に着けて、大きなバーナーの炎をゴーゴー音を立てて気球を膨らましているゴンドラに乗り込みました。気球のゴンドラは、20人ほど乗れる大きな籠でした。
 そして、ゆっくりと音もなくゴンドラが浮き上がり、だんだん上がって行きました。地表にいる人影や樹や岩が、どんどん小さくなって見えます。気球は、1000メートル以上も上昇して行きます。空は雲一つなく、青黒く澄み渡って、東の山並みの稜線の上から朝日が射してきました。三角錐やキノコ型をした奇岩群や奇妙な岩山を照らして、辺りは360度一大パノラマです。周囲の空中には、他の気球がカラフルに数多く浮遊しています。

 私は、魂が、大地とのつながりを絶たれて肉体から抜け出てしまったような、一種名状し難い心持ちでした。そうして、視線を遠くの空中へ向け凝視すると、所どころに不思議な白いものが、すーっと浮き出ては流れ、流れては消え、消えてはまた浮き出てくる、淡い雲のようなものが見えました。それは動いているようでしたが、実際に見えたのか錯覚なのかよくわかりませんでした。それが、私にはエンジェルに見え、喜びに満ちた明るい波動に感じられたのです。

エンジェルを見ている筆者
エンジェルを見ている筆者(上田多加子さん撮影)

 私は、翌日カッパドキアの地下都市を見学しました。そして、気球で見た空中で動く淡いエンジェルのようなものは、一体何であったのかと考えながら、アリの巣のような細い通路を伝って地下都市へ降りて行きました。その時に、それは迫害を逃れて地下に住まざるをえなかった人々の解放された魂ではないのか、という突飛な思いが浮かんだのでした。

 カッパドキアは、標高1000メートルの高原にあり、北と南に存在する3千メートル級の火山の噴火によってできた土地で、火山灰は裾野や谷間に50メートルも堆積したという。その火山灰は、柔らかい凝灰岩(ぎょうかいがん)になり、億単位の時間をかけて、風雨と寒暖の差によって、特異な奇岩の風景ができたのだという。
 人々は、この奇岩の連なる大地に、木や石を集めて造る必要がない方法で、つまりこの柔らかい奇岩に穴をうがち、その岩窟を住居にしたのです。そして地下にも家畜小屋やワインの醸造所を作りました。そして、外的から身を守るために、地下を掘り下げて生活空間を広げていったのです。古い地下都市は、紀元前4世紀には存在したと言われていますので、起源となればもっと古いと言われています。その地下都市の目的は不明ですが、恐らく戦争が原因ではないかと推測されています。

 地下都市と言われるだけあって、地下8階まであり、その中に数万人が生活していたといいますから、その規模が想像されます。
 この地下都市は、幾つもあって多くの民族が占領してきました。2世紀から3世紀のローマキリスト教徒迫害の時や、その後イスラム教徒の迫害から逃れるために、初期のキリスト教徒たちが利用してきた地下都市もありました。

 私たちは入場料を払って、地下都市の入り口から入りました。入口の辺りには、ちょっと広場になった礼拝堂があります。人一人通れるような狭い地下通路を歩いて行きます。狭いのは、敵が甲冑を着て通れないようにするためらしいです。通路の両脇に、ときどき広い空間をうがってあります。ベッドルームや家畜小屋や料理部屋などがあります。学校もあったそうです。敵の侵入を防ぐために、大きな石の円盤があり、それを転がせば通路を遮断できる工夫をしてあります。通路は少しずつ傾斜になっています。かなり深く下っても息苦しさはありません。直径2メートル位ある竪穴があります。それは地上から地下8階の最深部まで、管のように掘られていて、通風孔と地下水をくみ上げるのに利用されています。そのため、まったく息苦しくありませんでした。
 また料理は、煙が出ると敵に見つかる恐れがあるために、遠くの方へ出る仕組みになっているそうです。
 掘り出した土を、敵に分からないように遠くへ運んだ労力と、この地下都市を計画した設計者は、いったいどんな人物であったであろうかと考えると想像だにできません。

 途中、照明の電気が切れている箇所がありました。そこは、本当に目を一杯に見開いても、真っ暗闇でした。私は、その通路を通り越すのにちょっと恐怖を感じました。閉所恐怖症の人は、パニックになりそうな感じです。昔は、電気などありませんから、本当に暗くて不自由であったと思います。その中で、出産したり子育てをしたり病人を看病したりしていたのですから、想像を絶する生活だったに違いありません。私の胸は苦しくなり、この闇の地下から今すぐに逃れたい気持ちになりました。

 敵から逃れて、このような闇の地下都市で生活するには、よっぽどの強い信仰心がなければできないことだったに違いありません。
その思いに至った時です。この地下の暗闇の生活から解き放たれた人々の魂は、今、カッパドキアの晴れ渡った抜けるような青空を、喜びにあふれて飛翔しているのに違いないと思えたのです。そう思えたことで、私自身が、地下都市の闇から救われた気がしました。
肌身でなまなましい地下都市を見学していた私は、迫害を受けて暗い地下で生活せざるをえなかった人々の魂に、いつしか感情移入していたようでした。そして、気球から見えた空中の淡いエンジェルのようなものは、喜びに満ちあふれた地下生活者たちの魂だったに違いないと思えたのです。

地下深く 闇に閉じ込められし
魂よ!
天へ召されてのち
解放されし 
魂よ!

私は視た
あなたがたは エンジェルとなり
今 時空を超え 
喜びに満ちて 
天翔ける
あのカッパドキアの青空のもと