2016年インド旅行記(2) 旅と輪廻

旅と輪廻 (6)

 

 イランの広大な大地を横断して、アフガニスタンに入国した私は、田舎の村々を回って、首都カブールへ到着しました。
 私は、カブールからバーミアンを訪れました。七世紀、唐代の僧、玄奘三蔵が、インドへ行く途次に訪れたというバーミヤンは、今は小さな寒村でした。
 雲ひとつない素晴らしい空のもと、赤茶けたヒンドゥー・クシの山脈の上に雪が積もり、断崖にはおびただしい石窟群が見えました。往時、ここは数千人の僧たちが修行し生活した場所であり、シルクロードの要衝の町として殷賑(いんしん)を極めたとは、目の前のこの寒村からは、とうてい想像もつきませんでした。
 土地の人から、大昔、ジンギス汗がバーミヤンを攻めて、このシャリ・ゴル・ゴラの丘で住民を皆殺しにした歴史を知りました。私は、小川に沿って歩き、橋を渡り、他の石窟を見に出かけました。石窟は、くり抜かれて、内部が広いものもあり、狭いものもありました。そして、その内部にあるブッダの座像は、どれも例外なく無惨にも破壊されていました。途中、アフガン人の少女が、素手で牛や馬の糞(ふん)を拾って、頭上のかごの中にいれていました。集められた糞は、こねて平べったい円形にして、庭に並べて乾燥させ、煮炊きする燃料に使うのです。

 

 この静かなバーミヤンの村で、私は、珍しく美しい自然に対して抗議しました。そして、ノートに、こんな風に記入しました。

 

 

空は 絵のように青く
ヒンドゥー・クシの山嶺は白く
バーミヤンの石窟群は赤く
村の少女は 素手で牛の糞を拾い
頭上のかごに入れる
顔を削り取られた二体の大石仏は
目隠しされたように見える
けれども 大石仏は 今もなお 
ヒンドゥー・クシの山々と 旅人たちを
じっと 眺めているかのようだ
静寂につつまれた寒村は
しばし 旅人たちによって にぎわうが
変わらないのは 玄奘が見た
自然の風景だ
大石仏が 見続けている
荒涼とした 大地だ

シャリ・ゴル・ゴラの丘の上に立てば
一月のバーミヤンの雪は白く
吹きつのる風は冷たくて
ジンギス汗が 住民を皆殺しにした処刑の丘も
自然は 全てを おおい隠してしまった
その傍らで 少女は 素手で牛の糞を拾い
それを丸めて乾かし かまどの焚きものをつくる
自然よ!
人々は美しかった と私には言えなかった
自然は美しいが
自然よ!
生きものにたいして あまりにも酷じゃないか
ただ私をなぐさめ 幸福にしたのは
限りなく美しい自然の中で
村人は貧しく
多くの不幸と辛苦をかかえて生きたのち

美しい自然の一部となって 帰って行ったことである
あの目隠しされた大石仏の
笑みのように

 

 曇り空が広がって来て、もうじき雪になりそうな気配がしました。
 私は、雪で通行止めになる前に、カブールへ戻りました。そして、また同じ安宿に泊まりました。夜からだいぶ冷え込んできたので、同室の旅行者と十アフガニづつ出しあって、私は薪を十キロ買って、ストーブを焚きました。
 次の日は、やはり雪になりました。道にも、かなり積もってきました。
 その日、私は、部屋で過ごしましたが、昼間、若い日本人の旅行者が同室に入ってきたので、一緒に食事にゆきました。彼は、食後、全部吐いてしまいました。カルカッタで肝炎に罹り、二ヵ月間カルカッタに滞在していたのだといいます。
 夕方、私は、部屋のストーブに鍋をかけ、野菜を煮て、私が持っていたスープの素でスープを作り、ヌン(平焼きパン)を買ってきて、肝炎の青年と一緒に食べました。
 夜になってから、私は、のどが段々痛みだしてきました。それと、手首と首の数ヵ所が南京虫にかまれてかゆく、赤くはれあがっていました。
 それから数日後、私は、荷物を整理して、ほころびたズボンとワイシャツとバッグをストーブへくべてしまいました。そして、荷物を一つにして、パキスタンへ旅立ちました。

 

 

 

<<前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次ページ>>