宇宙の叡智―レンマ的知性について

宇宙の叡智―レンマ的知性について (8)

如来蔵思想

 如来蔵思想は、誰でも如来を孕んでいて、仏になれるという考え方です。そして、この如来蔵思想に、もっとも影響を与えた仏典が、「大乗起信論」 です。今から1500年前、6世紀前半、中国南北朝時代に漢文で現れました。インド人の馬鳴(めみょう)作と言われ、真諦が中国語に翻訳したと言われてきました。最長や空海から親鸞にいたるまで、日本の鎌倉時代の祖師たちへ、根底的な影響を与えた教典であり、天台智顗の『摩訶止観』もその影響下にありました。それをさらに日本風に変容させたのが、天台本覚思想です。本覚―根源的な覚りーという語そのものが 『起信論』 に由来するものであって、それが重要視されたのは中国、とりわけ日本であったといいます。日本の仏教は、全部如来蔵思想なのです。本覚思想の基盤をなす如来蔵思想-誰もが仏になる資質を有しているという思想―は、日本の独自性を示しているのです。
 その「大乗起信論」は、仏教学者鈴木大拙やイスラム学者井筒俊彦にも、強い影響を与えましたが、特に井筒は、西洋の神秘思想からはじまり、イスラムの神秘主義を探求して、最後に東アジアの思想伝統にもどってこられ、最後に行きついたのが、『大乗起信論』 だということです。

 ブッダは、当時のウパニシャッド哲学やバラモン教は、まさに支配者のみを益する形而上学にほかならないとして、それら土着の形而上学的妄想に対して、自説の教説を示しました。それは、妄想を拭い去ることであり、妄想を拭い去ることこそ悟りなのだと主張しました。このブッダの思想は、宗教というよりほとんど科学に近いと言えます。
 だが、ブッダの妄想を拭い去ることー神も仏も存在しないことに、大衆はもとより知識人も耐えられなくなり、ブッダの死後、仏教教団は分裂し、部派仏教の時代に、インド古来の思想に徐々に染まっていくのです。やがてブッダに帰れと言う運動が起こって、大乗仏教と称して、龍樹が出て思想的に深めて空観を説きます。皮肉なことに、ブッダの説いた縁起を、理論的、思想的に深めれられれば深められるほど、土着思想の流入が激しくなったのです。無著、世親の唯識にいたり、それが決定的になり、如来蔵思想が中心を占めることになっていきます。そして、インド土着思想との融合の最終形態として密教が中国を経て日本へ届くことになります。

 ブッダの仏教と、日本の仏教は、ずいぶん変容してしまいました。仏教に、多様性がありましたので、世界へ広がっていったともいえますが、もし、ジャイナ教のように厳しい宗教なら、仏教はインドの土着の少数派の宗教で終わっていたと思われます。
 ブッダの仏教は、東南アジアの国々の上座部仏教だけで、日本の如来蔵思想の仏教は、仏教ではないと糾弾する人々もいます。

 なぜ如来蔵思想が問題になるかというと、ブッダの仏教は、バラモン教への、ウパニシャッド哲学への批判として成立しましたので、アートマン(我)は認めません。梵我一如を認めると、如来蔵思想は、バラモン教やヒンズー教と同じになってしまい、ブッダの仏教ではなくなってしまうからです。


梵我一如

 そこで、梵我一如の考え方は、一般ではどうでしょうか。
 ウイリアム・ブレイクの詩、「一粒の砂粒にも世界を/ いちりんの野の花にも天国を見/ きみのたなごころに無限を/ そしてひとときのうちに永遠をとらえる」(寿岳文章訳)や、ヘルダーリンの 「生きとし生けるすべてのものと一つになる!」 や、リルケの 「自然に身を任せきって、自分でもそれと知らぬまに自然の奥処に見入っていた」 
 ランボーの 「また見付かった、/ 何が、永遠が、/ 海と溶け合う太陽が。」(小林秀雄訳)
 芭蕉の 「荒海や佐渡によこたふ天の川」 「暑き日を海にいれたり最上川」
 など、古今東西、詩人は常に梵我一如の見本のようなものです。
 またゴッホの 「星月夜」 という有名な絵があります。夜空いっぱいに渦を巻いた模様の絵(その時期に初めて天体望遠鏡で渦巻の星雲が発見された)は、自分と宇宙が一体であるという表現に見えます。土着の如来蔵思想や梵我一如の方が、普遍的に思えてきます。
 それで、ヒンズー教と仏教と道教と老荘の「道」は、インドの 「如来蔵思想」 「アーラ
ヤ識」 「空性」 などの考えと強い親和性を持っていたので、日本の仏教が成立した
のは必然だったと肯定的な意見もあります。土着思想(神秘思想)の果実は、ヨーロッパであろうが、インドであろうが、中国であろうが、日本であろうが皆同じだというのです。

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