パンデミックの最中、ヨガ教室を行なう

パンデミックの最中、ヨガ教室を行なう 1

 コロナウイルスのパンデミックの最中、一年ぶりに東京のヨガ教室が再開されました。感染対策を万全にして行いましたが、このような状況下でないと、気がつかなかったと思われることがいくつかありました。

参加者の声
 一つは、人間はリモートやウエブサイトなどを利用して、頭だけで感じているのではないということです。
 以下は、一年ぶりにヨガ教室へ参加した人たちの声です。

 「今日は本当に楽しかった」
 「体の芯からポカポカしてくる」
 「一人でしているときと全く異なる感触、感覚があった」
 「面授のありがたさが身に沁みます」
 「ヨーガには美しさが秘められている。 ムドラー体操など、動き自体に美しさを感じました」
 「1年ぶりのヨガ教室で、改めて心穏やかになり、こんなに気持がいい!と、再確認しました」
 「心身共にリラックスできて、『アラっ もう終わり?』 2時間が驚くほど速く過ぎてしまいました」

 参加者のこれらの声は、実は人間の皮膚、内臓の声なのです。
 真核生物から進化した人類は、皮膚に覆われています。その皮膚は、ゾウリムシでいったら細胞膜にあたります。ゾウリムシには脳はありませんが、障害物をよけたり、毒を避けたり、細菌を補食して食べたりできるのは、その細胞膜の感覚の判断でするのです。
 それと同じように、人間の皮膚にも、聞く力、見る力、味わう力、嗅ぐ力、また予知する力、考える力、記憶する力のような感覚があることが、最近分かってきました。

 「魂の座は、内界と外界が接するところにある。内界と外界が浸透しあうところでは、浸透する箇所はどれも魂の座となる」(『夜の賛歌・サイスの弟子たち他一篇』ノヴァーリス作今泉文子訳、岩波文庫)というドイツ・ロマン派の詩人・思想家ノヴァーリスの直感は、正しかったのです。

 皮膚もそうですが、内臓にもそのような力があるのではないか、と私は思っています。というのは、内臓移植した人たちが、移植提供者の好みや考え方になってしまうと言っているからです。
 中でも、ある少女は心臓移植をしたら、見知らぬ男性の顔を描き始めたというのです。実はその心臓の提供者は、銃に撃たれて死んだ青年でした。その青年の心臓を移植した少女が描いた絵がきっかけで、青年を撃った犯人が特定されて逮捕につながったというのです。心臓は、ただ血液を送り出すポンプだけではなく、心が宿っている臓器なのです。
 私たちは、腑に落ちる、という表現をします。頭では分っても納得できないのに、分かったという時に使います。これは、内臓で分かったということです。昔の人は、心が内臓にあることを知っていたのです。

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