内臓でヨーガをやるとはどういうことか?

内臓でヨーガをやるとはどういうことか? 1


 前回のエッセイ 「パンデミックの最中、ヨガ教室を行なう」 をお読みになり、内臓でヨーガをやるとは、一体どういうことかと疑問に思った人もいたかと思います。ここでは、内臓でヨーガをやるとはどういうことか、をアーサナ(ポーズ)に焦点をしぼって述べてみたいと思います。
 私たちは、アーサナをやるとき、アーサナをどう思っているのでしょうか。健康になるための体操、またはスポーツの一種と思っていないでしょうか。


アーサナの本質
 「ヨーガ・スートラ」(ヨーガ根本経典)に、アーサナ(坐法・ポーズ)のことが記されています。

 「アーサナは、安定した、快適なものでなければならない」
 「安定した、快適なアーサナは、緊張をゆるめ、心を、無辺(無限)なものへ合一させなければならない」

 ヨーガ・スートラの言葉は、どれも非常に簡潔に記されています。私たちは、その短い言葉の、言外の意味を、深く受け止める必要があります。
 アーサナでは、心地よく、リラックスすることが大切です。それには、自分の意図的な努力をゆるめ、肉体の内臓に潜む心地よい感じに身をゆだねることです。
 これを、違った表現ですると、体をゆるめて、そのあとに内臓から伝わって来る心地よい感覚を味わうことと言えます。内臓には、それ自体に心と英知があり、私たち自身への最良の導き手になってくれます。
 また内臓は、植物神経なので、宇宙の波動と共振しています。すると、頭(右脳)が内臓の感覚を知覚し、宇宙の波動に共振されて、意識は自然に無限なものへ向けられていくのです。


植物性神経と動物性神経
 解剖学者の三木成夫の著書を読むと、私たちの身体は、植物的な部分と動物的な部分が合わさってできているというのです。植物性神経と動物性神経です。
 植物性神経は、腸や血管や腎臓などにあり、内臓系と呼び、動物性神経は、筋肉、神経、外皮などにあって、体壁系と呼びます。

 三木の言葉では、「魚をおろすときに出すはらわたーこれが 『内臓系』 です。そして残った、食べる部分が 『体壁系』 です。頭のところは両方がくっついている」 となります。
 そして、内臓系は、体壁系の影響をほとんど受けないというのです。熱いお茶を飲むと、口の中で熱いと感じますが、喉元を過ぎれば熱さを忘れます。

 このように、植物性神経(内臓系)は、動物性神経(体壁系)の影響を受けないのですが、反対に植物性神経は動物性神経に影響を与えるのです。
 私たちは、お酒を飲み過ぎて翌日、二日酔いになることがあります。胃がむかつくので、ちょっと会社に電話して、体調が悪いので会社を休もうと決めたりします。

 胃(植物性神経)がむかつくので、頭(動物性神経)がそれを察知して、会社を休むと決めたのであって、頭で会社へ行くのが嫌だと考えたから胃がむかついたのではありません。内臓感覚が、会社へ行くのを止めさせたのです。

 前のエッセイにも書きましたが、内臓を移植すると心が変わってしまいますが、反対に、脳細胞を移植しても、人格や心に何も変化が起こりません。(『内臓が生み出す心』西原克成著、日本放送出版協会を参照)
 これで分かるように、色彩の好みも、食物の好き嫌いも、すべては内臓の支配下にあるのです。

 ここで、「あたま」 と 「こころ」 を、昔の人はどう考えていたのでしょうか。そこで、「思」 という漢字で考えてみます。
 漢字の 「思」 を象形文字で表すと、「あたま」 が 「こころ」 の声に耳を傾けている図柄になるといいます。「田」 は、脳ミソを上から見た象形文字だそうです。「こころ」 は、心臓の象形文字であると言います。(拙著『いのちの力』平凡社第九章「ヨーガは植物性神経(心、魂)を鍛える」に、白川静の『字通』から引用した象形文字を載せてありますので、興味のある人はご参照ください)

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