竹富島で日本人のルーツを考える

竹富島で日本人のルーツを考える 5


私と縄文人のDNA

 現代人に残る縄文人のDNAは、東京の人が1割、沖縄の人が3割、アイヌの人が7割だそうです。
 時代で見ると、北東アジアから農耕をもたらした渡来人がやってきて弥生時代が始まります。弥生時代には、大陸から来た 「大陸弥生人」、「縄文弥生人」 と、その両者の混血である 「混血弥生人」 がいました。 その弥生人は7割が縄文人のDNA、3割くらいが渡来人のDNAになります。ところが現代日本人のDNAは、縄文人と弥生人のDNAが2割ずつで、6割が第3の謎のDNAなのです。

 この謎のDNAは何なのでしょうか? 古墳時代のDNAを調べて分かったことは、現代日本人のDNAと同じような比率で、第3の謎のDNAを古墳時代の人々は持っていいたのです。
 この時期は大陸では戦乱の世が続いていたために、広い地域から多くの東アジアの集団が日本列島へ逃れてやってきていたのです。
 このようなことは、現代でも同じだと思います。戦争が始まると、多くの人々が安全な他国へ逃れていきます。
 これらの渡来人は高い技術を持っていましたから、巨大な古墳を造るのに一役かったのかもしれません。千葉県芝山町の芝山古墳から出土した人物埴輪に、イスラエル人のラビ(聖職者)の衣装をまとったような、立派な髭を蓄えた謎の人物があったりします。また群馬の保渡田八幡塚古墳からも多くの渡来人の埴輪が見つかっています。
 これらから推測すると、弥生人は、多くの服装も言葉も異なる渡来人との混乱と交流の末に、現代日本人のDNAがつくられていったのではないかと推測されます。
 この謎の6割のDNAは、アジア各地のDNAで、現代の日本人は縄文人のDNAを持ちながら、本当は多様性のある民族といっていいのかもしれません。

 私は、ここまで考えを巡らしているうちに、はっと気づきました。今まで何度も怖い目に遭いながらも旅を続けてきたのは、自分の中に眠るホアビニアンのDNA、縄文人のDNAに突き動かされていたのではないだろうか、と思われたからです。
 それが石垣島や竹富島に来て、ふつふつと湧き上がってきたのです。
 そうして、石垣島や竹富島が、魂のふるさとのような気持ちにさせてくれる理由が分かったのでした。

 「時よ来い ああ時よ来い 心の燃え立つ時よ、来い!」 のランボーの詩を口ずさんで日本を脱出した私は、自分の肉体の中に息づく縄文人のDNA、フロンティア精神、もっと知りたいという欲求が、自分を突き動かして止まなかったからだと、心から納得できたのでした。




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