日本人は、もっと母国語を大切にすべきである - 望月勇

日本人は、もっと母国語を大切にすべきである (3)

 あと日本にいる人々に誤解されるのは、子供などは英国やアメリカへ留学させておけば、英語など自然に覚えて、勝手にぺらぺらに話せるようになるという幻想です。確かに日常生活に使う英会話は覚えますが、それだけでは語学としては不十分なのです。エッセイなどのように自分で思索して英語で書く力は、日本語がしっかりしていないとできないのです。

 

 大切なのは、どこか一つの言語に軸足を置いて、それをしっかりと学ばなければ、思索してエッセイを書いたりすることは出来ないということを理解して、日本語を子供の時からしっかりと学ばせる必要があるのです。
 そのよい例として、英国の著名な作家であるカズオ・イシグロ氏がいます。彼は、長崎で生まれて、父親の仕事で5歳の時に英国へ渡りました。始め日本語と英語の両方を覚えようとしますが、どちらか一つに軸をおかないとだめだと気がつき、日本語を捨てたのです。そのお陰で英国の作家になることができたのです。

 

 昔、私は、4ヶ国語を自由に話す女性に会いました。彼女は旅行会社に勤めていました。旅行会社では、語学ができれば雇ってくれますので、語学が堪能なスタッフが多くいました。その彼女は、小学生の時ロンドンで学び、父親の転勤でパリへ、その後エジプトのカイロへ行きました。日本語も、英語も、フランス語も、アラブ語も、普通の会話ではまったく不自由なく話すことができました。しかし、アラブ人に言わせると彼女のアラブ語はおかしいといいます。フランス人は、彼女のフランス語はおかしいといいます。イギリス人は、彼女の英語はおかしいと言います。私は、彼女の日本語はおかしいと感じます。軸になる言語がないので、みんな中途半端なので、彼女は考えを深めることができないのです。彼女の書いた日本語を読むと分かるのですが、最後にとめる文章の、です、でした、である、だ、という文末表現が全部まちまちで、また文章の意味がはっきりとしないのです。文章が何を言いたいのかはっきりとしないということは、考える力がないのと同じです。

 

 最近、文科省で、小学生低学年から英語を教えて、しかも国語の授業時間を短くして、その代わり英語の授業時間を増やそうとしているのは、日本語を、日本の文化を衰退させることと同じです。またある幼稚園では、先生が全部外人で、幼稚園にいるあいだは全部英語で話しています。わが子が英語を話すのを見て、「うちの子が英語を話した」と喜んでいる母親がいます。そして、極め付きは、妊婦が、お腹にいる子に英語の胎教をしているのです。その録画を見たイタリア人が、「お母さんの下手くそな英語で、お腹の子供がかわいそう」といっていました。
 このようなことが一般的になっていくと、日本人は、日本語を忘れ、日本文化を忘れ、そして日本人としての誇りまでを忘れてしまいます。そうなったら世界から軽蔑されるだけです。
 そうならないためにも、先人たちが苦労して築いてきた素晴らしい日本語を、もっと大切にして、そして日本語に誇りをもつべきです。そのためには、義務教育でしっかりと正しい日本語を教える必要があるのです。

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