太古、人類の祖先は古細菌であった 1-6

太古、人類の祖先は古細菌であった 1-6

 その様子を、三木は、「ひとりひとりが、盆踊りの輪の中で陶酔しきっているように、部屋から部屋へとつづく大きなうねりに身をまかせている。かれらの視線は、大勢の頭のあいだを通して、ほの暗い光に照らし出されたガラスケースのなかに注がれているのだが、その方向は、それを通りこして、どこか遠くへ彷徨(さまよ)うといった感じである。」 と述べています。

 三木は、その陳列ケースの品々は、西域からもたらされた異境のものという感覚がまるでなく、その一つ一つに父祖伝来の手の脂がしみ込んで、身内のものという感じがし、「血の繋がり」 という言葉を思いつく、という想いを述べています。
 その想いは、「大脳生理学の言葉を借りれば、右脳に由来するものであるが」、「外界から受け取ったものと、すでに蓄えられている ゛あるもの゛ の正体は依然としてつかめない。『何かに似ている……』 という、ただそれだけの意識に過ぎない。あの椰子の実の液体と、この陳列ケースの品々とを、ともかくも ゛血のもの゛ と直視する機能である。そしてそれは、あの 『何といったらいいのか……』 という文字どおり 『ことばにも筆にも堪えぬ』 意識段階としてしかとらえることのできないものであろう。」 と述べ、「゛あるもの゛ に名称をラベルするのは左脳の機能ではないか」、と言っています。

 ここで、私が、はっと気がついたことがありました。それは、私が二十代の頃、ヨーロッパやアフリカを旅して歩いている時期、旅で会う旅行者たちからなぜか怖いと言われました。特ににらんだわけでもないのに、にらまれると怖いと言われたのです。
 反対に、中東やインドへ旅した時は、修行僧に間違えられたり、現地の人々や旅行者にも親切に扱ってもらいました。この不思議な思いに、私は、アフリカとトルコで撮った写真を見比べて見ました。アフリカでの写真は、目がギラギラして指名手配の顔のようでした。インドからイスタンブールへ帰った時の写真は、どこか遠くを見つめて陶酔しているような表情でした。それは、まるで別人のようでした。(エッセイ「トルコの旅」の掲載写真を参照してください)
 「あの、何といったらいいのか……」、「ことばにも筆にも堪えぬ」 という三木の思いは、私がインドのブッダガヤでわけもなく号泣したり、ネパールやブータンやチベットで瞑想した時の、あのほのかなおもかげに魂の平安を感じた思いと同じで、それは、「生命記憶」 や 「業熟体」 由来なのだということを理解しました。
 その理解が深まってくると、一緒に旅したヨーガの仲間は、「生命記憶」 由来の魂の仲間だということを、深い心情で、ひしひしと理解しました。すると、なぜか一人ひとりを思い浮かべるたびに、涙があふれてくるのでした。

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