太古、人類の祖先は古細菌であった 1-5

太古、人類の祖先は古細菌であった 1-5

生命記憶
 次に進みます。多細胞生物は、やがてカンブリア紀(五億四千万年前)になり、脊椎動物と無脊椎動物に分かれ爆発的に増えていきます。脊椎動物の魚類が現れ、その一部が陸へ上がり、爬虫類や哺乳類へ進化していきます。
 解剖学者三木成夫は、著書『いのちの波』で、「胎児は、受胎の日から指折り数えて三十日を過ぎてから僅か一週間で、あの一億年を費やした脊椎動物の上陸誌を夢のごとくに再現する。」 といって、シャーレの中のゴマ粒の胎児の頭部を切断して、顕微鏡でスケッチした図を紹介しています。

 それを見ると、受胎32日では、鰓があり眼が左右についているフカの顔です。それを見て三木は、「フカだ! 思わず息をのむ。やっぱりフカだ…・…。」 と言っています。「三十六日の顔がこちらに向いたとき、しかし、わたくしの心臓は一瞬とまった。爬虫類の顔がそこにある。あの古代爬虫類『ハッテリア』の顔ではないか。」 そして、「三十八日の顔がこちらに向いたとき、わたしは何か凝然となる。獅子頭の巨大な鼻づらが、いきなり、ヌーッと目の前に迫ってくる。それはもう毛だもの顔だ。はやもう哺乳類の顔になっていたのだ……。」 
 同時に胎児のヒレは、だんだん水かきのある五本の指に変わって行く様子がスケッチされています。
 終わりに受胎60日体長45mmの写真を載せて、「(略)細っそりとなった顔はすっかりまぶたができて目は完全に閉じ、顔のほうも眠りに入ってしまう。
 ここでは何の夢を見ているのか。このあたりから相貌はしだいに “高僧” の厳しさに向かい、70日をピークにやっと人間の赤ん坊のおもかげに移っていく。それは、中生代から新生代に突入するアルプス造山運動の秋霜烈日の夢の再現か。(略)」 と述べています。

 三木は、受胎一か月後の一週間に起こったものは、地球の三億年の歳月が瞬時に凝縮され束の間のおもかげとして過ぎ去ってゆく。それは、人間の深い心情に根差す 「生命記憶」 であり、人類のはるか彼方のおもかげ、「古代形象」に他ならないと言うのです。そして、この生命記憶も、普通の記憶のように「回想する」ことができるというのです。
 その「生命記憶」で思い出したのは、ブッダの教えの「業熟体」でした。「業」(カルマ)が熟した体という意味ですが、私たちの体は太古から現在まで、切れ目なく繋がっているのです。誰でも両親がいます。その両親に、またその両親がいます。20代さかのぼると、100万人の先祖になるといわれます。

 その 「生命記憶の回想」 は、たとえば三木が、まだ輸入品が珍しいときに、デパートの地下の果物売り場で椰子の実を買い、硬い殻をノコギリとキリで二つ穴を開けて、ストローで夢遊病者のように、中の液体を吸ったときのこと。
 「なんだ、こりゃあ」 と言って、三木は、「それはまるで他人の味ではなく、懐かしい味であった」 と述べています。そして、次の瞬間、「いったい、おれの祖先は……ポリネシアか……」 とはらわたからでた叫びになったそうです。

 また民俗学者折口信夫のことも紹介しています。
 折口信夫は、「十年前、熊野に旅して、光り充つ真昼の海に突き出た大王个崎の盡端に立った時、遥かな波路の果てに、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかった。」 と述べ、「これを詩人気どりの感傷と卑下する気にはなれない、これは先祖の胸を煽り立てたノスタルジーの現れたものではないか」、と言っています。
 これらの回想を読んでいると、私も、インドやチベットでこのような 「生命記憶の回想」 の体験をいくつか思い出しました。

 面白いのは、正倉院の御物展があり、その入場者の行列に、三木が何度か出くわしたときのことです。その時、えもいわれぬ雰囲気がただよっているのを肌で感じたそうです。
 それは、モナ・リザ展の時とまるっきり違ったというのです。モナ・リザ展の時は、視線はギラギラしていて、「その行列は、戦後の進駐軍物資に並んだあの光景をどことなく連想させた。」 そうです。
 そして、御物展に入ってそれがなんであるのか分かったというのです。大会場を埋め尽くしている人々に、熱気が渦巻いていて、かといって、人を押しのけて陳列ケースにたどりつくといったふうでもなかったと言うのです。

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