量子論を身近に感じる

量子論を身近に感じる 2


宇宙規模で起きている量子もつれ

 鳥で考えると理解しやすいです。鳥は、外部の地磁気の量子と鳥の目の細胞の量子が量子もつれを起こして、空を飛ぶ方向性が定まることが、量子生物学で分かっています。
 鳥でこのようなことが起きているということは、人間でも同様に、自分と外部の量子がさまざまに量子もつれを起こしていることは、容易に推測できます。
 量子に付属する情報に、超意識下でアクセスしているらしいことは、さまざまなスピリチャルの記録が残っているので、実際にそうなのでしょう。
 もしこれが地球規模で起きているとしたら、この世界がお互いに完全につながっていて、それは地球だけではなくて、宇宙すべてを含めて、量子もつれでつながっているということになります。まさに、宇宙は一体なのです。
 このことをよく理解すれば、なぜ今をよりよく生きることが大切かが分かります。それは自分のことだけではなくて、地球や宇宙へもよい波動となって影響を与え、向こうの多次元世界で生きている友人や肉親ともつながっていくことにもなるからです。
 その町に、瞑想する人が増えると、犯罪者も減って行くという報告を聞くと、一人で瞑想することでも、世界や宇宙に与える影響は大きいのだということが量子論で納得できます。


時間について

 最近のコロナ禍にあって、今年になり癌で亡くなった人たちが何人もいます。身内にとっては、悲しいことです。「もう一度会いたいのですが、もう会えないと思うと悲しいです」 といわれると、私も悲しいです。死んで過去になってしまったら、もう会えないのか? 過ぎ去ってしまった時間は、過去に葬られてしまって戻らないのか? と自問自答してしまいます。そこで量子論ではどう考えるのだろうかと、今までの知識をもとに自分で考えてみました。

 ニュートン力学では、時間は客観的な事実で、人間と無関係に存在していて、客観的に観測できると考えていました。
 ところが、アインシュタインの相対性理論は、時間は観測者によって異なるという相対的なものとなり、客観的な存在を否定して、ニュートン力学の基本概念を根本的に変えてしまいました。
 アインシュタインによると、時間には普遍的な時間の流れなど存在せず、絶対的でもなく、過去から今、そして未来に直線的につながるわけではなく、今が過去と同時にあり、観察者によって今をどう見るかにより、時間の順序や長さが変わるというのです。
 それは、意識により空間を上下左右に移動し、時間は過去にも移動するというものです。人間の感覚は、時空を超えるのです。アインシュタイン自身は、本気でそう考えていたようです。

 「アインシュタイン自身、過去と現在、未来の区別はないと考えていました。一九五五年の四月に亡くなるアインシュタインは、その一ヵ月前に、スイス工科大学の学生だった頃からの親友であるミッシェル・ベッソーの訃報に接し、ベッソーの家族に次のような弔文を送りました。 

 『ベッソーは、この奇妙な世界から、私より少し先んじて旅立った。
 それには、何の意味もない。
 私たちのような物理学の信奉者は、
 ぬぐいがたい幻想に過ぎないことを知っているのだ』 」

(『超弦理論入門』 講談社ブルーバックス、カリフォルニア工科大学大栗博司教授著書より)


 このアインシュタインの時間は、聖書のカイロスを思い出させます。日本語で訳された聖書の 「時・刻」 は、原語ではギリシャ語で時間を表す 「カイロス(kairos)」 と 「クロノス(chronos)」 という言葉が使われています。
 クロノスは、時計が刻む時のことで、過去から未来へ一定速度で機械的に流れる時間です。量的な客観的な時間を意味します。ニュートン力学の時間と同じように思われます。
 一方、カイロスは、クロノスと違って主観的な時間です。永遠につながる時間(瞬間)で、神から与えられた時間です。人間の内的な時間で、速度が変わったり、繰り返したり、逆流したり止まったりします。これはアインシュタインの考える相対性理論の時間そのもののような気がします。

 私は、ヨーガの研修の旅で、今日の楽しい日は、過ぎ去って過去になりますが、悲しむ必要はありません。心の金庫に、誰にも壊されることなく永遠に保管されます。必要な時には、いつでも金庫から出して楽しむことができます、と話してきました。
 これは、量子論で言ったら可能なのです。人間の感覚は、時空を超えるからです。もし懐かしい過去にもう一度出会いたかったら、亡くなった肉親、友人に会いたかったら、カイロス的な時間を持てばいいのです。

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