読むことの大切さ

読むことの大切さ (1)

読むことの大切さ--読むことは創造であり、不思議な営みである

 私は、『望月流プラーナヨーガ気功』 で、「ある哲学者は、読むことは書くことと同じくらい創造的な営みであり、読むことこそ、テキストを新しく書き換える行為である、と言っています」 と書きました。

 読むことで、その文章が心の中に入ります。そして、糠床で漬物が発酵するように、時間をかけてその文章が発酵していきます。そうして、二回、三回と再読していくときに、その発酵した波動が心の中から湧き上ってきます。やがてその波動は、心身を突き動かしていくのです。

 ですから、じっくりと読むことが大切です。その為には、発酵するに値する本を読むことが必要です。速読は、知識を詰め込むにはいいでしょうが、頭をよくはしてくれません。

 最近、函館にお住まいの 「はづき」 さんという女性から、私のもとへお手紙が届きました。私の本をお読みになり、ご自分が変わっていった様子を、素直に書き綴ったお手紙でした。そのお手紙を拝読して、私は読むことの大切さと不思議な営みを、身を震わせながら感じました。はづきさんの中で発酵した私の文章は、はづきさんの内臓に響いたのだと思いました。

 令和元年九月、函館のはづきさんからのお手紙
 先生の著書、『いのちの知恵』 に出会ったのは2年半前のことです。
 ケータイのメモ欄が一杯になり整理の為に読み返しておりました。趣味の俳句やら、書籍やら雑多に打ち込んだ中に、『いのちの知恵』 という本の名がありました。
 NHK Eテレの 「こころの時代、唯識に生きる」 という番組で、立教大学の横山宏一先生の紹介による本でした。

 図書館で、気になる書籍の中から真っ先に借りたのが、『いのちの知恵』 でした。
 先生と同年代の私なのですが、十代の読書力が蘇ったかのごとく、あっという間に読み終えました。
 そして乾いた魂が欲するかのように、『いのちの力』、『気の発見』、『気の言葉』、『いのちのヨーガ』 を読破しました。
 私はなんという無知のまま今まで生きて来たのでしょう。人生とは羅針盤の無い大海を、浮き沈みもがきながら生きてい行くしかないのだ、と思っていました。
 先生の著書に出会わずにいたら、宇宙の真理を毛ほども知らず、人生を終えるところでした。
 「本当の自分とは完全完璧で、自由で喜びで、平和で無限で、永遠な存在、太陽のような存在です。魂が望むのは、本当の自分でそこに存在したいということ。自分を責めることは宇宙に抵抗することです。」

 本の冒頭から、私は頭を思い切り殴られたようなショックを受けました。私の今日までの生きざま、苦悩苦痛まみれだと嘆いていた生きざまは、本当の自分とそうでない自分を混同していた為に他なりません。本当の自分に背いた生き方で、私は自分の魂を曇らせ、悲しませていたのです。私は自分の魂に心から詫びたいと思いました。

 三冊目の 『気の発見』 を読んでいたときでした。長い間の習慣で、クラッシク音楽を聞きながら就寝前の軽い体操を終え、瞑想を試みました。それまでもCDのバイオリンの音に集中している時など、頭の天辺から魂が抜け出るような、不思議な感覚を覚えることがありましたが、その日はその感覚を覚えると同時に瞼の奥で金色に縁取られた、エメラルドの閃光がきらめきました。

 これはいったいなんだろう、これが瞑想の恩寵というものなのだろうかと、ベッドに横になろうとした時でした。周りの空気が波打って押し寄せてくるような異様な気配にぞっとしました。突発性のめまいの経験があるのでその再発かと思ったのです。めまいの前兆なら振り払わなければ、と身構えましたが、いや待てよ、これはひょっとしたら本に書かれている、宇宙エネルギーの波動なのかもしれない、と、その不思議な波動に身を委ねてみることにしました。