48年ぶりのお花見

48年ぶりのお花見 5


縄文時代の森

 砂漠では、今いる場所・出発点があり、水源がある方へ進むしかありません。青い空を見上げると、静寂な大地に、蟻のように動いている人間だけが際だって見え、私は無意識に、俯瞰的に、鳥のように物ごとを上から見ている自分に気がつきました。
 その反対に、森の中では暗く、見通しが悪く、初めもなく、終わりもありません。大木は枯れても、また倒木から芽を出します。春に花を咲かせ、秋に実をはじき、増殖します。この輪廻転生を永遠に繰り返す森の世界に、初めも終わりも、死もないのです。
 この体験から私は、「砂漠的とは、上からみる眼を持ち、見とおしがよく、移動的であることであり、森林的とは、下からみる眼を持ち、見とおしが悪く、定着的であることである。」(『森林の思考・砂漠の思考』日本放送出版協会)と述べている鈴木秀夫の言葉に、 まったくその通りだと納得しました。

 砂漠とは反対に、日本の一万年前から始まった縄文時代は、高温期にあり、北海道を含めた日本全土が森林でおおわれていたといいます。特に、温暖帯照葉樹林の拡大した時代で、暗い森林地帯で形成された精神世界は、山や川や石や木の精霊を生み出し、アニミズムが生まれたに違いありません。そして、日本のアニミズムは、中でも樹木を崇拝してきたと思います。縄文時代の木の精霊は、生命のシンボルだったのです。

 それは、やがて神道にも受け継がれていきます。縄文時代のウッドサークル(環状列木)や三内丸山遺跡の六本柱建物、諏訪大社の御柱の祭りや伊勢神宮の神事を見ても、木や柱に対する神聖な意識が、日本の神道の起源にあったと思われます。

 こうして縄文時代には、深い森に覆われていましたが、弥生時代になると稲作が始まり、森林が伐採されて見通しがよくなっていきます。また縄文時代は、石器を使い、平等で平和な時代が1万5千年ほども続きました。弥生時代になると鉄器も使われ始め、貧富の差ができて支配者階級が現れてきます。
 私たちは、学校の歴史の教科書で、年表には縄文時代があって、その後に弥生時代が区分されているのを知っています。あたかも弥生人によって縄文人が駆逐されたかのように、時代が突然変わったかのような印象を受けます。実際はそうではなて、縄文人と弥生人は共存して、長い年月をかけて弥生時代へ移行していったようです。そのために縄文文化は形を変えながら、日本人の心の中に受け継がれていくことになったと思います。


英国の古代ブリトン人

 この日本列島の縄文人と弥生人が共存して移行していったこのようなケースとは反対に、二つの異なった種族が出会ったら戦いが始まって、たいがいは一方が滅ぼされるのが世界の歴史です。
 例えば、英国には古代ブリトン人が住んでいましたが、四千年前に大陸からやってきたビーカー人によって、古代ブリトン人は絶滅してしまいます。その後、鉄器をあやつるケルト人がやってきて、今度はビーカー人が絶滅します。
 なぜ古代ブリトン人が消滅したのかは、二つの理由が考えられるそうです。一つは、ビーカー人と一緒に大陸から運ばれてきた未知の病原菌によって、免疫力のなかった古代ブリトン人が感染して死に追いやられてしまったこと。もう一つは、青銅器を使うビーカー人に戦って負けてしまったこと。実際、古代ブリトン人の遺跡は、全部見事にビーカー人に破壊尽くされています。

 現代科学で、古代人の骨のDNAを調べると、ビーカー人の中に古代ブリトン人のDNAは全くないので、古代ブリトン人は絶滅されたことが分かります。そうして、その後に鉄器をあやつるケルト人が入ってきて、ビーカー人は滅びてしまいます。現代英国人の中に、古代ブリトン人とビーカー人の遺伝子はまったく入っていないので、ビーカー人も絶滅したと思われます。
 ところが日本では、現代日本人のDNAを調べると、縄文人の遺伝子は現代日本人に受け継がれていますので、縄文人は絶滅していないことが分かります。ちなみに韓国人や中国人には、縄文人の遺伝子は入っていません。

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