48年ぶりのお花見

48年ぶりのお花見 7


森と瞑想

 また、縄文時代の見通しの悪い、暗い森の中での生活は、心が内に向いていく性向が生まれたと思われます。これは、日本人一般が共通して持っている性向かも知れません。実際、砂漠で生まれた一神教の 「天地創造」 の話は、日本人にはぴんときません。森のなかで過ごして来た日本人には、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」 の「無常観」 の方がしっくりきます。

 森といえば古代インドでは、先住民ドラウ゛ィタ゛族やアーリア人が、人里を離れた静かな森林の中で、瞑想する習慣がありました。暗い森の中で、一人瞑想すると、自分自身、つまり自我に向き合うことになったと思います。それは、呼吸をして生きている自分の自覚だと思います。その自我を、アーリア人はアートマン(呼吸)と表現しました。そして、宇宙に満ちる力をブラフマン(宇宙の源・梵)と表現しました。そして宇宙と自分が一体となることを、梵我一如といいます。このインド教の中から、仏教も生まれてくるのです。

 そうして森から生まれた仏教は、6世紀の欽明天皇のころ日本に伝わります。やがて聖徳太子によって、仏教が広まります。共同宗教の神道の世界に、仏教の内面を重視する個人的宗教が入ってきたのです。今まで埴輪の表情の少ないのっぺりした顔から、個性を持った仏像の顔が次々に表現されていきます。
 この森林の中で生まれた仏教の瞑想は、もともと暗い森の中で過ごしてきた日本人には、合っていたと思います。国宝の鳥獣戯画で有名なお寺、京都の高山寺に国宝「明恵上人樹上坐禅像」があり、樹上で瞑想している上人の姿が描かれていて、森と瞑想が深く関わっていることが分かります。
 このように、外国からやってきた仏教が、日本に広まり、根付いていきます。そして、同時に、縄文時代から続いてきた木の精霊信仰(アニミズム)は、神仏混淆として残っていきます。そして、歴史を見ると神道は国家などの公務に向けられ、仏教は個人的に扱われて現在に至っています。京都の寺院や神社を見て歩くとよく分かります。
 また日本では、木や石にも精霊が宿るといって、仏教の経典まで変えてしまいます。
たとえば、「草木国土悉皆成仏」 や 「山川草木悉皆成仏」 はインドや中国の仏典にはありません。インドでは、生物を、有情と非情に分けます。有情は、動物など心のあるものですが、植物や鉱物は心のない非情になるので、石や植物は成仏できないからです。

<<前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 次ページ>>