死について考える

死について考える 4


細胞の死と個体の死

 細胞の死が必要なのは、好ましくない遺伝子が出来た場合、それを排除する必要が
あるためです。たとえばランダムな遺伝子の組み換えによって、新しい遺伝子組成を持った受精卵ができますが、それが不良品と分かったら、アポトーシスで細胞を自死させて排除するのです。
 生物が繁栄して安定するには、多くの種があったほうが安定します。多くの生物が生きていくには、お互いに食べたり食べられたりする必要があるので、種が少なくなると生態系のバランスを崩します。
 そのため生物は、進化の過程で、遺伝子に突然変異が起こることを利用して別の種を誕生させました。その突然変異が、望ましくない場合は、受精卵が自ら死んでいく力を発動させました。これが、生命が進化する過程で獲得した 「死の遺伝子」 です。

 生物は、生きていれば化学物質や活性酸素や紫外線などによって、必ず遺伝子にキズを負います。この老化した個体が生き続けて、若い個体と交配し、遺伝子の異変が引き継がれて蓄積していくと、種が絶滅したり、遺伝子自身が存続できなくなる可能性があるのです。
 このため、この危険性を安全に回避するには、古くなってキズがついた遺伝子を個体ごとに消去する必要がありました。これが、死が生まれた理由になります。
 人間の場合は、再生系の細胞は、約50回分裂すると死を迎え、一方、非再生系の細胞は約100年という寿命があり、寿命が尽きると死滅します。
 このように、死が進化の過程で二重に組み込まれたことで、古い遺伝子をまるごと、確実に消去できるのです。
 生物の個体を通してしか存続できない遺伝子は、二つの機能、「性=遺伝子の組み換え」 と 「死=遺伝子の消去」 を獲得したことで、遺伝子を更新し、繁栄できるようになりました。地球上に生存している多細胞生物のすべてが、細胞死のシステムを持っているのは、時空を超えて生命を遺し伝えるためのもっとも効果的な手段だといえるのです。

 イギリスの動物学者リチャード・ドーキンスは、遺伝子を 「利己的な存在」 と述べました。自分と同じものを多く残そうという点では、遺伝子は利己的かもしれませんが、遺伝子の 「自らを消し去る」 ふるまいは、究極的には生きている生物へのリサイクルになると考えると、「利他的な存在」 なのかもしれません。
 そのように理解すると、死ぬことは、自分の個体を宇宙へお返しすることになり、死は利他的で、厭うべきものではないのです。

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