心とは何かを探し求めて

心とは何かを探し求めて 9


 また量子の不思議な特徴として、波のようでいて粒子にもなることです。そして、他の量子とつながっているように反応することです。
 光は波か粒子かという歴史的な論争がありました。その論争に決着をつけたのが、アインシュタインでした。かれは、「光は粒子と波動の両方の性質をもつ量子である」 という理論を発表して、1922年ノーベル物理学賞を受賞しています。発表から50年以上たってから、二重スリット実験でそれは証明されました。
 それは、波だったものを、粒子として期待して観察すると、すぐに粒子になるというものです。それを、量子力学では 「観察により波動関数が崩壊する」 という表現をするのです。これによって、人間の意識が、現実を作ることが証明された実験ともいえます。
 思考が現実化してしまうと考えるなら、人間自身や木や石や、自然や宇宙のすべては、誰かが意識した通りに作り上げらえているということになります。意識(想念)が現実を作ることは、スピリチャルな世界では古くからいわれてきました。
 宇宙は想念である、という有名な言葉は、量子論では理解できます。「月は人間が見たときには月として現れ、見ていないときには何もない」 という話は、量子論ではあり得るということになります。一体こんな考えを、正気で理解できるでしょうか?

 私は、これを理解するには、人間原理にもとづいて考える必要があるのではないかと思います。人間原理とは、宇宙やこの世界は、それを人間が認識するから存在している、という考え方です。
 今まで物理学は、唯物論的な立場から、例えば粒子なら粒子からスタートして、どこまでいっても物の世界だけを対象としてきました。
 ところが、人間原理で考えると、それとは逆で、すべての存在が 「心」 のあらわれであると捉える唯心論です。物理学の出発点は、人間が観測・認識したものが存在しているということでした。しかし、認識しているのは私たち人間ですから、人間の 「心」 を避けては通れないはずですが、これまでの物理学では、そこだけ伏せて、唯物論的な尺度でこの世界・宇宙を記述してきました。
 唯物論的な考えでは、古代ギリシャの 「人間の心とは何か?」 という本質的な問いについての回答は得られません。それは、人間原理にもとづかないで、現代人は世界や宇宙はどうなっているかを科学的(唯物的)に探究し続け、「ここまで分かった」 と理解したつもりになっているだけで、本質的には何も分かっていないのです。
 私は、量子論がでてきて、ようやく人間の心(意識)が何かが、これから探求されていくような予感がしてきました。

 シュレーディンガーは、1933年にノーベル物理学賞を受賞し、量子力学を打ち立てた中心的な人物ですが、科学者を何世紀も魅了し悩ませてきた問題、「生命とは何か?」 に興味をもっていました。彼は、古代インドのウパニシャッド哲学に造詣が深く、量子論が、生命を知るための鍵を握っているのではないかと考えていたようです。『生命とは何か』(岩波文庫)で、シュレーディンガーは、量子力学を用いて生命に関するこの最古の疑問に答えようとしたのです。
 その答えは、9年後、1953年にワトソンとクリックによって見つけられました。DNAの二重らせん構造を大発見したからです。そして、量子力学を用いてDNAの分子構造をすっかり解き明かしてみせたのです。これでヒトのDNAを完全に原子で記述できるようになったのでした。また量子力学で、ダーウィンが19世紀に予言した地球上の生命の系統樹が作られるようになったのも量子力学の産物だったのでした。

 それから、先にも紹介したロジャー・ペンローズが、意識に興味を持ち、脳細胞の中には、分子レベルまたは超分子レベルのマイクロチューブル(微細管)という構造があり、そこが意識機能を担っているのではないかという見解は、量子論が意識(心)にもとづいて考え始めたといえるのではないでしょういか。
 量子論から意識(心)にもとづいて初めて、人類は 「生命とは何か」 「心とは何か」 を解明できる段階にきているのかもしれません。
 将来、人類は、あらゆる現象をひとまとめに表すことができる 「万物の理論」 が発明されれば、なぜビックバンが起きたのか? ビッグバンの前に何が起こっていたのか? ブラックホールを抜けた向こうには、何があるのか? 他の宇宙へつながるワームホールは存在するのか? いくつもの並行宇宙(パラレルワールド)からなる多宇宙(マルチバース)は存在するのか? などなど最高に不思議な疑問に答えることができる日が、50年後、100年後に来るかもしれません。そう考えると、胸がわくわくしてきます。


2022年8月1日        望月 勇

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