2019年 高野山と熊野古道 (2)
最近分かったことは、日本の古来からある手つかずの森には、ハイパーソニックサウンドという音がでているという。高周波で人間の耳には聞こえないけれども、その波動には脳機能を高め、免疫力の向上やストレスの軽減、認知機能の向上など様々な効果があるという。
その効果であろうか、歩いても疲れがでないのだ。歩く自信がないので、バスに乗って次の場所で待っているという人も、ちょっと外へでて歩いたら元気になり、とうとう全員熊野古道を歩くことができたのである。
ガイドさんがいうには、巡礼の道で世界遺産になったのは、サンチャゴ・デ・コンポステラ(フランスからスペインへ続く道)と、熊野古道しかないという。その為か、外人の男性で、リュックを背負って、一人でもくもくと巡礼の道を歩いている人を見かけた。熊野古道を歩くのは、本来こうでなければならないと感じた。無言で歩くところに意味があり、談笑しながら歩いてはダメなのである。
かつて、『青年と沙漠』 を読んで旅にでた人たちを、私は三人知っている。
『青年と沙漠』は、20代の主人公が、イタリアのサン・ピエトロ・イン・ウ゛ィンコリの寺院で見たミケランジェロの彫刻から始まる。青年は、シナイ山から十戒の石板を持って休憩しているその彫像を見て、どうしてもシナイ半島の沙漠を歩きたくて、サンタカタリーナという修道院へ向かって歩いて行く記録である。
一人は大学生で、彼は沙漠へ旅をする前に、モロッコの海で溺死してしまった。
二人目は、スイスに住む国連職員の日本人男性で、定年になって隣に住む友人から『青年と沙漠』 を借りて読み、フランスからピレネー山脈を越えて、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラ まで約1カ月半をかけて踏破している。
三人目は、つい最近、スイス在中の会社員の青年で、私の本を読み感動して、会社から28日の休暇をもらい、スペインからコンポステラまで歩いた。
『青年と沙漠』を読んだ人たちが、なぜそのような行動をするのか。考えてみるとそこには生死をかけた行動があり、大切な何かを発見するからなのだろうか。
熊野古道も、昔は白装束で死を覚悟して、平安時代から上皇や天皇や貴族たち、そして一般庶民も、熊野三山を目指した。京都から往復1カ月、距離にして約600㎞になるそうである。私が思うには、死ぬほどの覚悟をしても、苦しみを味わっても、そこには大切な救いがあったのだと思う。その一役を担っていたのは、大古から存在し、熊野の森が出すハイパーソニックサウンドの効果かもしれない。この高周波の音は、今では日本の神域の森とアフリカの熱帯雨林しか存在しないというのである。
次に、熊野本宮大社へ詣でた。
かなり長い急な石段を登りつめると、古式床しい社殿が並び、境内は静寂で清々しかった。
そして、その石段の下にある新しい瑞鳳殿の90畳の広間での瞑想が、また素晴らしく心地よかった。その時、熊野の森のアルファー波効果も作用しているに違いない、と確信した。
本来の本宮大社は、こんな石段の高い場所にあったのではなくて、三つの川の合流する中洲にあっとのだという。明治22年の大水害で社殿が流されてから、こちらに移築されたという。
そこで、元あった熊野本宮大社(大斎原「おおゆのはら」という)は、500メートル離れた場所にあり、そこへ歩いて行って見た。
大斎原の大社は、一万一千坪の境内に五棟十二社の神殿、桜門、神楽殿や能舞台があったそうで、現在の大社の数倍の規模だったようである。
夕暮れの吹く風が心地よい。田植えの済んだ田んぼが開け、その真ん中の一本道を歩いて、高さ35m幅42mの日本一の巨大な鳥居をくぐると、こんもりと緑におおわれた森になっている。その森の木立ちの合間から、夕日の木漏れ日が射している。この光景は、きっと太古から変わらないのだろうと思わずにはいられなかった。
その本来あった熊野本宮大社跡は、礎石を残して在るだけであったが、その芝生の境内から立ち上る気が、びりびりと両手の平へ感じられ、古代の人がこのエネルギーに満ちた場所へ社殿を建てた理由が分かる気がした。
その夜は、湯の峰温泉郷にあるひなびた温泉旅館へ泊まった。湯の花が一杯浮いている湯で、肌がすべすべする。外はコンビニもスーパーもなく、静かで星がきれいに瞬いていた。