竹富島で日本人のルーツを考える

存在するという純粋な感覚 1


心の金庫を開ける

 時間があるときに、一人で静かに過ごす方法があります。それは目を閉じて自分の人生の収穫物に目を向けることです。収穫物とは今まで楽しかったことや、成功して喜んだことなど大切な記憶です。人生半ばを過ぎて来ると、秋に刈り取られた田畑を見るように、人生の寂しさを感じてしまいます。ところが、倉庫の中を見れば、そこには収穫されたものがいっぱい詰まっているのです。

 過ぎ去ったことに目を向けるのは後ろ向きでよくないと思われますが、嫌なことでも気持ちの明るい時に思い出したら、よい方へアップデイトされるのです。人間の記憶は、ビデオテープのように固定されていないのです。友人たちと若かったころのことを話しあい、その後、体力測定すると検査値が上がることが知られています。

 自分の記憶をそっと覗いてください。様々な体験が息づいています。それらの体験の一つ一つは、かけがえのない宝物として心の金庫に大切に保管されています。
 20代の若い頃の私が見えます。一人でシナイ半島を歩いています。トルコのイスタンブールから陸路でインドへ旅しています。また英国から陸路で、フランス、スペイン、モロッコ、アルジェリアへ、サハラ砂漠を縦断してタンザニアへ、ケニヤからエチオピア、スーダンからエジプトへ15ヵ国を渡り歩いて、エジプトからヨルダン、シリア、トルコを経由してロンドンまで陸路で戻りました。7カ月かかったことや、命にかかわる危険が何度かあったことも、すべてしっかり私の意識に記憶されています。

 さらに記憶を思い出してみます。満月に照らされ、雪におおわれたイランの沙漠を、バスが沙漠の起伏を浮き沈みしながら通り抜けたこと。シナイ半島の沙漠で野宿をして、寝ているときに狼に右腕を噛みつかれた恐怖。アフリカのキリマンジャロ(標高5895m)では、富士山と同じくらいと勘違いして軽装で登り、吐く息が髭に凍り付いて寒さに震えたことなど、思い出せば次から次へ湧き出てきます。

 それらの記憶のなかでも、チベットの旅は私にとって格別なものでした。ヨーガの研修旅行として30名くらいで出かけたのですが、なぜかチベットは懐かしかったのです。外国で懐かしいと感じたのは、あとインドです。これは不思議な感覚でした。これから心の金庫を開けて、そのチベットの旅を覗いてみることにします。

1 2 3 4 5 次ページ>>