生きて死んで、そして魂のゆくえ

生きて死んで、そして魂のゆくえ 1

(一)

悩みはあった方がよい

 幼児から病弱であった私は、「なぜ生まれたのか?」 「なぜ生きるのか?」 「生きる意味とは何か?」 「死んだらどうなるのか?」 ということを考えては悩んでいました。誰でも一度はこのような問いに悩んだことがあると思います。
 悩みが何もない人よりも、悩む人の方がよいのです。悩むことで自分の人生を考えることができ、悩まなかったら、生きる意味がないのです。たとえ覚らなくても、何かを得ることはできるからです。
 私たちは、地球という小さな惑星に生まれました。その惑星は太陽という恒星のまわりを回り、その恒星は一千億もの恒星からなる銀河に属していて、その銀河が何兆個もある宇宙に存在しています。
 このような広大な宇宙の中、けし粒のような地球に、なぜ人間として生まれ、なぜ自分は生きるのかと問うてみても、本当は誰にも分からないのです。今ここに存在していること自体が不思議なのですから。

 この広大な宇宙に漂う、ちっぽけな地球という存在は、観念では理解できます。しかし、この地球を、約40万キロメートル離れた月から、経験の事実で見た人たちがいました。1961年のアポロ計画の宇宙飛行士たちです。
 彼らは詩人でも哲学者でもありませんでした。その彼らが親指を立て、片目をつむったら、地球の姿が親指の向こうに消えて見えなくなったり、また地球から遠ざかる小さな姿は、とても美しく生き生きとして、指一本で触れたらばらばらになってしまうような、繊細であやうい存在感を、直観的な驚きをもって実際に体感しました。そして彼らは地球の大きさやその価値に気づいて、帰還後みんな精神世界の道へ進んだのでした。
 彼らは、宇宙の大きさや地球が小さな星であることも、豊富な知識で知っていましたが、その知識と実際に体感するのとでは、雲泥の差があると思います。

 以前、精神科医ウ゛ィクトール・フランクルの著書 『夜と霧』 を読んで、魂が震えるほどの感動を覚えたのは、知識と理論でつくられた精神分析ではなく、筆舌に尽くしがたい、死ぬか生きるかの瀬戸際を、実際に体感してつくられた精神分析だからでした。
 私はフランクルから 「なぜ人間として生まれ、なぜ自分は生きるのか」 と問い続けてきた自分を振り返り、このような問題を人生に問いかけても、答えはないということに気づきました。
 彼は、ナチスの強制収容所で、周囲の人々がどんどん死んでいく恐怖と苦痛のさなか、なぜ生きるのかを考えました。その絶望の淵で、生きることは、苦しむことも死ぬことも含めたすべてであって、この苦しみに満ちた運命とともに、全宇宙にたった一度、そして二つとないあり方で自分は存在していると意識したとき、彼には、人生には生きる意味があると思えたのでした。
 そして人生になぜ生きるのかを問うのではなく、人生が自分にどう生きるのかを問いかけているのだと、発想を大きく転換させたのでした。
 そのように発想を転換すれば、答えはあるのです。その問いかけに対して、責任を持って答えを出し、一日一日を大切に生きることができれば、それが今を生きる意味になるのです。

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