2019年 高野山と熊野古道 (3)
翌日、熊野速玉大社へ詣でた。
境内の「ナギ」の古木が見事である。樹齢千年という。
ガイドさんの話を聞くと、「ナギ」は、「凪ぐ」 にちなんで、「ナギ」の葉は昔から海で働く人たちのお守りとして身につけたそうである。また、縦に葉を引っ張っても切れないことから、夫婦親子の縁が切れないという縁起をかついで、お守りにしているそうである。
速玉大社の境内は、社殿の朱と空の青と木立ちの緑が、実に鮮やかであった。
空を見上げると、青い大空の中を、白い龍に似た雲が長くたなびいていた。そして、太陽の光は、丸い金色のオーラのような輪に包まれて見えた。
その中を、山伏の衣装を身に着けた数十名の行者さんたちが、法螺貝を吹きながらしずしずと歩んで来た。この光景は、一幅の名画を見るようである。法螺貝の何ともいえぬよい響きと、いにしえの風景を垣間見るような心地で、ただただ見とれていたのだった。
実は、この速玉大社の「ナギ」の古木の直系の苗が、十数年前から私のロンドンの家にあり、この「ナギ」の古木を見て、私は親に会ったような、妙になつかしい気がしたのである。というのは十数年前に、藤岡回光さんがこの速玉大社の「ナギ」の実生から育てた苗を買って来たのを、私が貰い受けてロンドンへ持ち帰ったからであった。鉢植えした苗は、冬は屋内へ入れて育てたが、一時枯れかかってしまい、もうだめかと思って土を入れ替えて面倒を見たら、また青々した葉が復活した由来があったので、何となく親しみを感じたのである。
バスは熊野那智大社へ向かって進んでいた。
緑の隙間から、那智の滝が見え隠れして、やがて一条の瀑布となって姿を現した。
ガイドさんに言わせると、2日前に来た人たちは、滝が干上がっていた為に、目の前にある那智の滝を見ながら、「滝はどこですか?」 と聞く始末だったという。そして、「あなたがたは、ラッキーです」 と言った。
二日前の高野山で降った大雨のお蔭で、水量が増して、那智の滝は、見事な瀑布を見せてくれていたのである。大雨に感謝。大雨も悪くはなかったのだ。
落差日本一の那智の滝は、133メートルから一気に滝つぼへ落下していた。その流れ落ちる滝をじっと見つめていると、一瞬、滝の水が止まっているように見える。
これは、ある学者の発見により、その理由が分かった。人間の脳が落下する滝の水を意識するのに0・5秒かかり、脳が水の動きを意識してから0・5秒後に見ているからだそうで、見ていて見飽きない、面白い現象である。
この0・5秒の時差は、思考の働きを止めてしまう(通常は無になるという)と、動いているものが止まって見えるという。野球の名バッターには、ボールが止まって見えたり、昔の剣術の達人が、相手が切りかかる前に、切ってしまうことできたのは、脳の意識する時間と実際の動きの0・5秒の時差に秘密があるといえるのかもしれない。
那智の滝から歩いて石段を登った。かなり急な石段で、古いものは鎌倉時代につくられたそうである。そして登りきると青岸渡寺があり、そこからの那智の滝はまた格別である。
青岸渡寺と那智大社は、もともと隣り合わせで一体だったのが、廃仏毀釈によって多くのお寺が壊されたと言う。廃仏毀釈とは、明治政府により神道国教化政策に基づいて起こった仏教排斥運動である。この発令布とともに、仏堂・仏具・経巻などに対する破壊が各地で行われたのである。
ガイドさんによると、豊臣秀吉によって建立されたこの青岸渡寺も、破壊されようとしたので、人々は仏像を運び出してお寺を空にし、倉庫として使っているだけだと言い逃れて破壊をまぬかれたそうである。