望月勇先生の高野山と熊野古道を読んで (2)
『青年と沙漠』を読んだ人たちが、なぜそのような行動をするのか。考えてみるとそこには生死をかけた行動があり、大切な何かを発見するからなのだろうか。。。。私が思うには、死ぬほどの覚悟をしても、苦しみを味わっても、そこには大切な救いがあったのだと思う。
それが巡礼というものなのかと、終着点以上にその旅路、生き方、人生の問い方にこそ意義があるのだなと感じました。
そこで、元あった熊野本宮大社(大斎原「おおゆのはら」という)は、500メートル離れた場所にあり、そこへ歩いて行って見た。 大斎原の大社は、一万一千坪の境内に五棟十二社の神殿、桜門、神楽殿や能舞台があったそうで、現在の大社の数倍の規模だったようである。。。その本来あった熊野本宮大社跡は、礎石を残して在るだけであったが、その芝生の境内から立ち上る気が、びりびりと両手の平へ感じられ、古代の人がこのエネルギーに満ちた場所へ社殿を建てた理由が分かる気がした。
かつて昔あった大斎原の姿がもうそこにはない。。。とてつもない無常感を感じます。でも、きっと望月先生は、心の眼でその燦然たる姿を夢幻郷の様に蘇らせていらっしゃったのだろうと感じました。心象風景が美し過ぎて心が揺さぶられます。
翌日、熊野速玉大社へ詣でた。 境内の「ナギ」の古木が見事である。樹齢千年という。 ガイドさんの話を聞くと、「ナギ」は、「凪ぐ」 にちなんで、「ナギ」の葉は昔から海で働く人たちのお守りとして身につけたそうである。
「凪ぐ」って、ステキな言葉ですね。静かな海のように、心が凪ぐ気がします。私は海が大好きなので、「ナギ」の葉のお守りって、なかなか神秘的でよいなと思いました。
リバティプリントで人気のあるお店に、当時デパートの歴史を書いた小冊子があり、その中に、デパートの初めの頃、明治時代、日本から廃棄された仏像、仏具などのゴミの山を二束三文で買い取って、船でロンドンへ持ち帰ったということが記されていた。。。私に分かったことは、リバティは、廃仏毀釈によって莫大な利益を得ていたということだけであった。
当時いかなる理由があったにせよ、廃仏毀釈は自国の歴史と伝統に対する取り返しの付かない最悪のバンダリズムだと思います。リバティプリントは、日本の伝統的な花模様からインスピレーションを得たという話は聴いたことがありましたが、驚きです。
不思議なことに、私の旅は、満月に当たることが多い。
新月や満月って高波動を放っているとどこかで読んだことがあります。きっと先生の旅はその様な宇宙からの波動とシンクロされているのではと思います。
このように彼は、生命現象では、生と死を分類できないことを認識していたのだ。そして、生命現象は、ロゴスでは解明できないこと、仏教でいう生でもなく死でもない、不生不滅こそが実相であるという、レンマの理解に達していったのであった。そうして、表面に見える顕在性は、目に見えない潜在性と、あらゆるものが多様につながりあい、分岐や切断や再結合をおこなっているという 「南方曼荼羅」 と呼ばれることになる図をつくることになるのである。
熊楠の「南方曼荼羅」にこそ、ロゴスでは解明できない自然観や宇宙体系が図式化されているのですね。望月先生が耳にされた雨音にも、その曼荼羅が当てはまるように思えます。思わず、ネット検索して南方曼荼羅を見てみましたが、実に面白い図式ですね。南方曼荼羅がプリントされたTシャツまで販売されており、パワーが授かれそうで欲しくなってしまいました!
今回の望月先生のエッセイを拝読し、私も高野山と熊野古道へ同行させて頂いたかのように神秘的な疑似体験ができ、心より感謝致します。今後、私も自然に触れた時には、感性と五感と第六感をより研ぎ澄ませて、心が凪ぐ時間を大切にしたいと、一層思いました。
先生のエッセイを読み終えた後もずっと余韻に残るのは、魂に木霊するかのようなあの雨音です。
令和元年11月3日
山高美和
鎌倉の美和さんから、「高野山と熊野古道」 の素敵な感想文が寄せられましたので、掲載します。
以前、彼女は、「観覧車」 の詩の感想文をお寄せくださいました。
どうか美和さんの感想文をお読みくだされば幸いです。
望月 勇