2018年9月中旬 トルコの旅 (1)
永遠の今
私は今、イスタンブールのボスポラス海峡の海を眺めていました。その夏の光を浴びた海を見つめていると、ふっと二十代の昔の情景がイメージとなって流れ出てきました。それは、スウェーデンで過ごした日々のできごとでした。
空は独りであんなにも青く
あんなにも遠い
緑はささやくようにやさしい夏
天ではカモメが 「おぎゃーッ」 と鳴いて
教会の尖塔から陽はこぼれ落ち
ストックホルムの海に散った
海は輝く光の中で
牛のようにねそべっていた (詩集『北冥』角川書店より)
また、イスタンブールの雑踏の中、私は40年以上前にこの通りを歩いていた自分を思い出していました。その時は、大勢のトルコ人の人々が道幅いっぱいに広がってデモ行進をしていました。そのデモ隊の中を一人のトルコ人の子供が、ドーナツ型のパンを入れた籠を頭に乗せて、デモの中をぬうように売り歩いている姿でした。しかし人々は、少年にまったく無頓着でした。少年の存在は、デモ行進の中ではいかにも場違いな感じでしたが、少年は何とかパンを買ってもらおうと必死な様子でした。
私は、イスタンブールに立って、ぼんやりと、それらの湧いてくる過去のイメージを、ただ眺めているのでした。
それらのイメージの流れは、あたかも川の流れのようでした。それらのイメージは、川の上流から切れ目なく流れ、過去は今この瞬間につながっていて、同時にこの今は未来へ流れて行くような、そんな瞬間でした。その瞬間は、哲学者西田幾多郎の 「永遠の今」 という表現がしっくりと感じられました。
旧市街地を歩きながら、私の足元はおぼつきませんでした。立ち止まっていると、体が倒れていくようで、妙な感覚なのです。何かにつかまらないと、平衡が保てない奇妙な感覚を覚えて ・・・・・歩いていました。
このゆらゆら揺れる感覚は、また別の過去の出来事を呼び覚ましました。
20代の頃、東京の神田の通りを歩いていると、大勢の学生のデモ隊に遭遇しました。デモ隊はスクラムを組んで、掛け声をかけながら足並みをそろえて小きざみに動くために、地面と電信柱が大きく揺れ動いていました。この過去の揺れる感覚の記憶も、川の上流から流れて来て、今につながっている 「永遠の今」 と言えるのかもしれません。
それはさておき、このような過去のイメージの感覚を思い出していた私は、この大地の揺れに、ふっと自分の脳の神経細胞に、何か異変が起きたのかもしれないという不安を感じていました。そうして私は、トルコのイスタンブールの旧市街地を歩いている間、ずっとこの奇妙な感覚に翻弄されていました。
やがて、その不安から解放されたのは、イスタンブールの地下宮殿の存在を知ってからでした。
イスタンブールには、およそ六世紀頃、東ローマ帝国時代に作られた教会の地下に、柱廊に囲まれた中庭のある空間がありました。そこは裁判や商業活動に利用されていましたが、時の皇帝ユスティニアヌスがそれを解体し、もっと広く深くして、壁を厚さ4メートルの耐火レンガにし、水を通さない特殊なモルタルを施した貯水槽にしたのです。そうしてそれは、ビザンチン帝国の首都であるコンスタンティノープルの宮殿を支える地下の大貯水プールへ変貌していったのでした。
その現存する貯水槽は、「地下宮殿」 として一般公開されています。長さ238メートル、幅65メートル、高さ9メートルの空間に、1列12本で28列、336本の大理石の円柱があり、中にはメデューサの顔の彫られた古代の彫刻を、廃材として柱の土台に据えてあったりします。その地下宮殿へ降りてゆくと、真っ暗闇の中に照明器具に照らされた大理石の巨大な柱群と、髪の毛一本一本が蛇になったメデューサの顔が、水中の柱の土台から睨んでいるという幻想的な構図になっています。メデューサは、ギリシア神話の中に出てくる女性の怪物で、睨まれると見る者を石に化す力があるとされていましたから、見学者にとっては何ともすさまじい雰囲気をかもしだしています。
15世紀に東ローマ帝国が滅び、イスラムはキリスト教会の地下に、この地下宮殿を発見して驚嘆したようです。そしてすぐにその存在をベールに隠したのです。それから少数の技士だけが内部に立ち入りを許されて、その貯水槽から豊な水をハレムのあるトプカビ宮殿へ引き込む大工事を密かに行なったのです。
そして、この地下宮殿が民衆に知られるのは、イスタンブールになってからようやく百年くらい経ってからのことでした。知られたきっかけは、オスマン帝国の首都にやってきたフランス人の考古学者が偶然に発見したからでした。彼は、アヤソフィヤ教会の周りを歩いているうちに、そこの住民たちは水に苦労しないということや、また家の中で魚を手に入れている人もいるという噂を耳にします。彼は不思議に思ってその家々を調べて見ました。すると、部屋の壁の隙間から、満々と水を蓄えた地下宮殿が見えたのです。
なんと、イスタンブールは、巨大な水がめの上にあったのです。まさに、巨大な地下空間と莫大な水量の上にあるイスタンブールは、水に浮いている都市で、その上を歩けば感覚の鋭い人は、低周波による揺れや目まいなどを感じるに違いありません。私はこのことを理解した時、自分の脳細胞が異変を起こしたのではないかという心配は、杞憂に終わりましました。
私は今、イスタンブールのボスポラス海峡の海を眺めていました。その夏の光を浴びた海を見つめていると、ふっと二十代の昔の情景がイメージとなって流れ出てきました。それは、スウェーデンで過ごした日々のできごとでした。
空は独りであんなにも青く
あんなにも遠い
緑はささやくようにやさしい夏
天ではカモメが 「おぎゃーッ」 と鳴いて
教会の尖塔から陽はこぼれ落ち
ストックホルムの海に散った
海は輝く光の中で
牛のようにねそべっていた (詩集『北冥』角川書店より)
また、イスタンブールの雑踏の中、私は40年以上前にこの通りを歩いていた自分を思い出していました。その時は、大勢のトルコ人の人々が道幅いっぱいに広がってデモ行進をしていました。そのデモ隊の中を一人のトルコ人の子供が、ドーナツ型のパンを入れた籠を頭に乗せて、デモの中をぬうように売り歩いている姿でした。しかし人々は、少年にまったく無頓着でした。少年の存在は、デモ行進の中ではいかにも場違いな感じでしたが、少年は何とかパンを買ってもらおうと必死な様子でした。
私は、イスタンブールに立って、ぼんやりと、それらの湧いてくる過去のイメージを、ただ眺めているのでした。
それらのイメージの流れは、あたかも川の流れのようでした。それらのイメージは、川の上流から切れ目なく流れ、過去は今この瞬間につながっていて、同時にこの今は未来へ流れて行くような、そんな瞬間でした。その瞬間は、哲学者西田幾多郎の 「永遠の今」 という表現がしっくりと感じられました。
旧市街地を歩きながら、私の足元はおぼつきませんでした。立ち止まっていると、体が倒れていくようで、妙な感覚なのです。何かにつかまらないと、平衡が保てない奇妙な感覚を覚えて ・・・・・歩いていました。
このゆらゆら揺れる感覚は、また別の過去の出来事を呼び覚ましました。
20代の頃、東京の神田の通りを歩いていると、大勢の学生のデモ隊に遭遇しました。デモ隊はスクラムを組んで、掛け声をかけながら足並みをそろえて小きざみに動くために、地面と電信柱が大きく揺れ動いていました。この過去の揺れる感覚の記憶も、川の上流から流れて来て、今につながっている 「永遠の今」 と言えるのかもしれません。
それはさておき、このような過去のイメージの感覚を思い出していた私は、この大地の揺れに、ふっと自分の脳の神経細胞に、何か異変が起きたのかもしれないという不安を感じていました。そうして私は、トルコのイスタンブールの旧市街地を歩いている間、ずっとこの奇妙な感覚に翻弄されていました。
やがて、その不安から解放されたのは、イスタンブールの地下宮殿の存在を知ってからでした。
イスタンブールには、およそ六世紀頃、東ローマ帝国時代に作られた教会の地下に、柱廊に囲まれた中庭のある空間がありました。そこは裁判や商業活動に利用されていましたが、時の皇帝ユスティニアヌスがそれを解体し、もっと広く深くして、壁を厚さ4メートルの耐火レンガにし、水を通さない特殊なモルタルを施した貯水槽にしたのです。そうしてそれは、ビザンチン帝国の首都であるコンスタンティノープルの宮殿を支える地下の大貯水プールへ変貌していったのでした。
その現存する貯水槽は、「地下宮殿」 として一般公開されています。長さ238メートル、幅65メートル、高さ9メートルの空間に、1列12本で28列、336本の大理石の円柱があり、中にはメデューサの顔の彫られた古代の彫刻を、廃材として柱の土台に据えてあったりします。その地下宮殿へ降りてゆくと、真っ暗闇の中に照明器具に照らされた大理石の巨大な柱群と、髪の毛一本一本が蛇になったメデューサの顔が、水中の柱の土台から睨んでいるという幻想的な構図になっています。メデューサは、ギリシア神話の中に出てくる女性の怪物で、睨まれると見る者を石に化す力があるとされていましたから、見学者にとっては何ともすさまじい雰囲気をかもしだしています。
15世紀に東ローマ帝国が滅び、イスラムはキリスト教会の地下に、この地下宮殿を発見して驚嘆したようです。そしてすぐにその存在をベールに隠したのです。それから少数の技士だけが内部に立ち入りを許されて、その貯水槽から豊な水をハレムのあるトプカビ宮殿へ引き込む大工事を密かに行なったのです。
そして、この地下宮殿が民衆に知られるのは、イスタンブールになってからようやく百年くらい経ってからのことでした。知られたきっかけは、オスマン帝国の首都にやってきたフランス人の考古学者が偶然に発見したからでした。彼は、アヤソフィヤ教会の周りを歩いているうちに、そこの住民たちは水に苦労しないということや、また家の中で魚を手に入れている人もいるという噂を耳にします。彼は不思議に思ってその家々を調べて見ました。すると、部屋の壁の隙間から、満々と水を蓄えた地下宮殿が見えたのです。
なんと、イスタンブールは、巨大な水がめの上にあったのです。まさに、巨大な地下空間と莫大な水量の上にあるイスタンブールは、水に浮いている都市で、その上を歩けば感覚の鋭い人は、低周波による揺れや目まいなどを感じるに違いありません。私はこのことを理解した時、自分の脳細胞が異変を起こしたのではないかという心配は、杞憂に終わりましました。