パンデミックの最中、ヨガ教室を行なう 3
二つの時間の捉え方
パンデミックで外出が制限されると、人間は内側に目が向いてきます。特に昔の思い出が目に浮かんでくることが多いようです。ドイツからこんなメールが届きました。
「昨年、私もヨガ旅行の写真を見返していました。懐かしいですね。そして、他では見る事が出来ない最高の笑顔がそこにはありました。」
また、ある人は、亡くなった人の思い出を、ありありと懐かしく思い出したりします。
私も、前回のエッセイに書きましたが、ヨーガの「ブラーマリー」という呼吸法から、10年前の長野の飯綱高原でのヨーガ合宿を思い出しました。蝉の声とコラボしたこと、参加者と楽しく過ごしたこと、合宿の直ぐ近くにあった「天狗の湯」という温泉へ、合宿の合間に出かけたことなどを、ありありと思い出しました。
これらの時間は、今思えばかけがえのない「時」でした。
この「時」をどう捉えたらいいのでしょうか。それには、ちょうど「聖書」に出てくる「時」が、よい参考になります。
日本語で訳された聖書の「時、刻」は、原語では、ギリシャ語で時間を表す「カイロス(kairos)」と「クロノス(chronos)という言葉が使われています。
クロノスは、時計が刻む時のことで、過去から未来へ一定速度で機械的に流れる時間です。水平的で、量的な客観的な時間を意味します。英語の「クロック」の語源になっています。
カイロスは、クロノスと違って主観的な、垂直的な時間です。永遠につながる時=瞬間で、神から与えられた時です。人間の内的な時間で、速度が変わったり、繰り返したり、逆流したり止まったりします。
こうして考えていくと、ヨガ教室で過ごす時間は、皮膚や内臓で感じる時間であって、カイロス的といえます。一方、会社など仕事で頭脳を使って過ごす時間や、ゲームなど頭を使って過ごす時間は、クロノス的といえます。
一方、心の金庫に大切に保管した思い出や、亡くなった懐かしい人の想い出などは、永遠的でカイロス的といえます。
私たちは、クロノスの中に、もっとカイロスの時間を持つことが、人生を豊かに生きることになるのではないでしょうか。最近、時間が過ぎるのが速いと言う人は、クロノス的に過ごしているのではないでしょうか。どうか時間をもっと意識して、カイロス的に過ごしてみてはどうでしょうか。
クロノスは、人に与えられた時間です。カイロスは、人に訪れる時間です。私たちは、過去を振り返ってみると、あの時(チャンス)があったので、今の自分があるのだということに気がつくことがあります。今の自分にとって、このことがチャンス(機会)なのだと気づくと、カイロスはチャンスを与えられた時間になるのです。ギリシャ語のカイロスには、チャンス(機会)も意味しているからです。
このように時間を意識すると、生活が変わって行きます。
例えば、ヨガ教室でカイロス的に時間を意識した場合、今、生かされているこの時間は、私たち肉体がエントロピー増大(死に向かうこと)を防ぐために、自分の細胞を分解(自殺)させて、先回りして儲けた時間です。私たち肉体が、自分の身を削って作り出した命の実在時間なのです。このかけがえのない時間を使って、垂直的で、神(宇宙)から与えられた永遠の時につながるのが、カイロスです。このかけがえのない時間は、意識しようとしまいといつも流れていますが、意識したらこのかけがえのない永遠の時間=カイロスは私たちに訪れるのです。