人生を豊かに生きるには、母語が不可欠 (2)
そこで、著者は、この誤りを決定的に明らかにするために、ヨーロッパの近代社会の成立の過程を検証します。中世ヨーロッパを支配していたのは、「普遍語」=ラテン語であり、ローマ教会はラテン語を公用語として、聖書もラテン語で書かれていて、大学の講義や議論もすべてラテン語で行われていたという。ラテン語は、万国共通語で普遍的な言葉で、土着語は知的な議論には向かないと思われていたそうです。ラテン語は、ただ教養のある人々にだけ分かり、一般市民は地域の言葉(土着語)で話していて、ラテン語は理解できなかったというのです。
そのような状況に、宗教改革が起きて、マルティン・ルターなどが、聖書をラテン語から土着語(ドイツ語)に翻訳し、フランスなどでも土着語(フランス語)に翻訳されていきます。そうすると、庶民は直接に聖書を土着語で読むことができ、教会の権威に疑問をもつことが容易になり、コンプレックスを一掃し、自分たちの言葉はけっしてラテン語に引けをとるものではないという、人々に限りない自信を与えることになったというのです。デカルトの「方法序説」も、土着語(フランス語)で書かれて、土着語による真の知的探求が可能であることを証明しました。
私も思うのですが、日本で言ったら、18世紀、日本人がオランダ語から土着語(日本語)に翻訳し、明治になって、土着語でも世界に通用する科学の研究が可能であることを証明したと同じことだと思います。
ラテン語で思い出しましたが、以前、私が、朝日新聞社顧問でラスキン文庫理事長の秋山康男氏からお聞きした話です。昔、アメリカのスミソニアン博物館で、細川家の代々の当主の肖像画展が開催され、元首相細川護煕氏のお父様の通訳で同行した折、秋山氏はアメリカ人に、日本画に描かれた草花の名前を通訳しなければならなくなったそうです。秋山氏が、困ったと思ったら、護煕氏のお父様が、それらの花々や植物の名前を、すべてラテン語ですらすらと言ってくれたので、大いに助かったというのです。そして、そこにいたアメリカ人たちは草花の名前を理解してくれたというのです。護煕氏のお父様は、ラテン語を勉強するお時間と教養があったので、またそこにいたアメリカ人たちもラテン語の教養があったので、お互いに理解できたのです。それと同じことが、昔、ヨーロッパで起きていたのです。
また著者の施光恒氏によれば、デカルト以降、近代の哲学者は、各国語で書くようになって、ウ゛ォルテールはフランス語、ホッブズは英語、カントはドイツ語と言うように、ラテン語ではなくて土着語が使用されて行くようになったといいます。そして、著者は、哲学者の長谷川三千子氏の説を紹介して、ラテン語やギリシャ語から土着語への翻訳は、単に外来の語彙や概念を移し変えたものではなくて、翻訳先の言語の文化は、翻訳元の文化の知的対決を行うことになり、その中で自己認識を獲得し、深め、活性化されていくと指摘していることを紹介しています。たとえば、ソクラテスが、アテナイの街角で、誰かれとなく相手をつかまえて哲学的会話を交わして使っていた言葉は、当時の日常の言葉、土着語であり、長谷川氏は、本当の意味での叡智を求める行為は、生活の現場から隔絶した中世ヨーロッパのラテン語のような「学問の言葉」では行い得ないのではないかと論じています。
そして、著者は、創造性をもたらす要因について、母語のもたらす感覚との密接なつながりは、新しく何かを作り出す時は、必ず、新しい「ひらめき」や「カン」「既存のものへの違和感」といった漠然とした感覚(暗黙知)を言語化していくプロセスを求められ、このプロセスを「土着化」(母語)以外の言語で円滑に進めることは、ほぼ不可能だといいます。たとえば、数学者の藤原正彦氏も、数学という理論的学問でも、新しい解法を模索する際、最終的に頼るべきものは母語のもたらす感覚や情緒であると論じていることを紹介しています。
私も、これらの考えにまったく同感です。以前、テレビを見ていたときのことです。フランスの地方の若い女の子が、日本語の通訳をしていました。その少女が、フランス語には日本語の「木もれ日」にあたる言葉がないのです、この日本語の美しい言葉が大好きです、と言っていたのが印象に残っています。日本に幼児から英語化が進んでいったら、日本語の持っている感性は、いつか日本人の心から消えていくかもしれません、と私は危惧しています。
そして著者は、グローバル化は、進歩を土着から普遍へ(日本語から英語へ)向けていくことが正しいと言っているようだが、これも疑問だと言います。ヨーロッパの各国では、自国語(土着語)へのプロセスが進み、一般の多くの人たちが自信をもって独自の社会空間をつくり出すことができてきたのです。それを、日本では「英語化史観」がさらに進み、その行き着く先は、ごく一握りのエリートが経済的にも知的にも特権をにぎり、それ以外の大多数の人々は、社会の中心から締め出され、自信を喪失してしまう世界になるというのです。そして、各国の特性を度外視し、唯一の制度や言語に支配された「統一された地球」は、私たちにとって本当に住みよい世界だろうか、と著者は問いかけています。
そのような状況に、宗教改革が起きて、マルティン・ルターなどが、聖書をラテン語から土着語(ドイツ語)に翻訳し、フランスなどでも土着語(フランス語)に翻訳されていきます。そうすると、庶民は直接に聖書を土着語で読むことができ、教会の権威に疑問をもつことが容易になり、コンプレックスを一掃し、自分たちの言葉はけっしてラテン語に引けをとるものではないという、人々に限りない自信を与えることになったというのです。デカルトの「方法序説」も、土着語(フランス語)で書かれて、土着語による真の知的探求が可能であることを証明しました。
私も思うのですが、日本で言ったら、18世紀、日本人がオランダ語から土着語(日本語)に翻訳し、明治になって、土着語でも世界に通用する科学の研究が可能であることを証明したと同じことだと思います。
ラテン語で思い出しましたが、以前、私が、朝日新聞社顧問でラスキン文庫理事長の秋山康男氏からお聞きした話です。昔、アメリカのスミソニアン博物館で、細川家の代々の当主の肖像画展が開催され、元首相細川護煕氏のお父様の通訳で同行した折、秋山氏はアメリカ人に、日本画に描かれた草花の名前を通訳しなければならなくなったそうです。秋山氏が、困ったと思ったら、護煕氏のお父様が、それらの花々や植物の名前を、すべてラテン語ですらすらと言ってくれたので、大いに助かったというのです。そして、そこにいたアメリカ人たちは草花の名前を理解してくれたというのです。護煕氏のお父様は、ラテン語を勉強するお時間と教養があったので、またそこにいたアメリカ人たちもラテン語の教養があったので、お互いに理解できたのです。それと同じことが、昔、ヨーロッパで起きていたのです。
また著者の施光恒氏によれば、デカルト以降、近代の哲学者は、各国語で書くようになって、ウ゛ォルテールはフランス語、ホッブズは英語、カントはドイツ語と言うように、ラテン語ではなくて土着語が使用されて行くようになったといいます。そして、著者は、哲学者の長谷川三千子氏の説を紹介して、ラテン語やギリシャ語から土着語への翻訳は、単に外来の語彙や概念を移し変えたものではなくて、翻訳先の言語の文化は、翻訳元の文化の知的対決を行うことになり、その中で自己認識を獲得し、深め、活性化されていくと指摘していることを紹介しています。たとえば、ソクラテスが、アテナイの街角で、誰かれとなく相手をつかまえて哲学的会話を交わして使っていた言葉は、当時の日常の言葉、土着語であり、長谷川氏は、本当の意味での叡智を求める行為は、生活の現場から隔絶した中世ヨーロッパのラテン語のような「学問の言葉」では行い得ないのではないかと論じています。
そして、著者は、創造性をもたらす要因について、母語のもたらす感覚との密接なつながりは、新しく何かを作り出す時は、必ず、新しい「ひらめき」や「カン」「既存のものへの違和感」といった漠然とした感覚(暗黙知)を言語化していくプロセスを求められ、このプロセスを「土着化」(母語)以外の言語で円滑に進めることは、ほぼ不可能だといいます。たとえば、数学者の藤原正彦氏も、数学という理論的学問でも、新しい解法を模索する際、最終的に頼るべきものは母語のもたらす感覚や情緒であると論じていることを紹介しています。
私も、これらの考えにまったく同感です。以前、テレビを見ていたときのことです。フランスの地方の若い女の子が、日本語の通訳をしていました。その少女が、フランス語には日本語の「木もれ日」にあたる言葉がないのです、この日本語の美しい言葉が大好きです、と言っていたのが印象に残っています。日本に幼児から英語化が進んでいったら、日本語の持っている感性は、いつか日本人の心から消えていくかもしれません、と私は危惧しています。
そして著者は、グローバル化は、進歩を土着から普遍へ(日本語から英語へ)向けていくことが正しいと言っているようだが、これも疑問だと言います。ヨーロッパの各国では、自国語(土着語)へのプロセスが進み、一般の多くの人たちが自信をもって独自の社会空間をつくり出すことができてきたのです。それを、日本では「英語化史観」がさらに進み、その行き着く先は、ごく一握りのエリートが経済的にも知的にも特権をにぎり、それ以外の大多数の人々は、社会の中心から締め出され、自信を喪失してしまう世界になるというのです。そして、各国の特性を度外視し、唯一の制度や言語に支配された「統一された地球」は、私たちにとって本当に住みよい世界だろうか、と著者は問いかけています。