人生を豊かに生きるには、母語が不可欠 - 望月勇

人生を豊かに生きるには、母語が不可欠 (5)

 また、日本語は、知的格差を作らない力があると言います。そして、鈴木孝夫氏の一般庶民と知識層との間に、諸外国のように際立った格差ができない説を紹介します。日本の漢字には、中国や朝鮮半島などとも異なり、「音読み」と「訓読み」があることが、知的格差を作らない点だというのです。
 鈴木氏のあげた例を紹介すると、英語では知識層が使うような専門的語彙は、一般の人には、まったく意味がわからず、とっつきにくい語がほとんどだといいます。pithecanthrope(猿人)という英単語は専門的語彙であり、英語を母語とする人々でも、理解できないし、鈴木氏がイェール大学に客員教授として赴任していた時、大学教員や大学院生を前にして意味が分かるか尋ねたら、一人もいなかったというのです。これを、日本語で、「猿人」と書けば、一般庶民でもだいたい想像できます。このように、高級語彙と日常の言葉に、あまり断絶が生まれない日本語というのは、格差を作り出しにくい、平等な言語だと言えるというのです。

 ④日本語や日本文化に対する自信では、著者は英語偏重教育の弊害で、子供たちが母語である日本語や日本文化を、英語や英語文化よりも、価値の低い、劣ったものだと考えてしまわないかというのです。
現在、政府は、中学の英語の授業を日本語禁止のオール・イングリッシュ方式で行うことを目指しているが、この教授法は、学習者の自分の母語や文化に対する自信を失わせてしまうのではないかという疑念が提示されているといいます。
 ドイツでは、「ドイツ語はドイツ語のみで教えるべきだ」という方針を、改めたというのです。「学習者の母語を教室から締め出すような教育は、彼らに疎外感をもたらし、彼らから文化的アイデンティティを奪い取り、異文化間コミュニケーションの能力の向上ではなく文化変容を引き起こす」という指摘からです。

 成人の学習者にたいしてもそうであるなら、感受性の強い子供たちなら、その影響は想像に難くないと外国の専門家も危惧しています。そして、小学校からの英語の正式教科化や大学の授業の英語化、企業の英語公用語化などは、間違いなく子供たちに「日本語や日本文化は、英語や英語文化よりも劣っている」という強いメッセージを与えることになるだろうと著者はいいます。そして、省庁や自治体、国立大学、大企業などが「英語化を進めれば進めるほど先進国なのだ、知的なのだ」というイメージを振りまいているので、日本人の多くが、「あの大学は、まだ日本語で授業している。三流大学だな」「社内で日本語が聞かれるようでは一流企業ではない」などと普通に感じるようになるに違いないといいます。

 かつて中世のヨーロッパで、ラテン語にたいしてコンプレックスを持ち続けていた人々が、宗教改革の聖書の翻訳のおかげで、そのコンプレックスを払拭することができて、それが当時のヨーロッパの各地の庶民に限りない自信と活力を与えたのです。それが、今、日本ではごく一握りの自信に満ちあふれた無国籍なグローバル・エリートと、日本語や日本文化に対する自信を失い打ちひしがれた大多数の一般国民という、まさに中世ヨーロッパ並みの格差社会が再現されるのではないかと、著者はその危険性を感じています。

 ⑤多様な人生の選択肢では、著者は、日本語や日本の習慣のもとで多くの職業に就ける日本は、人々に格差なく人生の選択肢を提供しているのが、グローバル化や英語化は、日本のこの利点を自ら台無しにしてしまうというのです。日本の社会の良さは、グローバル化・ボーダレス化となじみにくいところで成り立っている。外来の知を、日本社会に合うように土着化(日本化)し、一般国民になじみやすいものとし、多くの人々が近代化の果実を格差なく享受できるようにしてきたところに日本の国づくりの強みが見出せるのであるといいます。

 最後は、私たちが目指すのは、著者の主張する「母語で豊かな人生が送れる世界を作ること」なのです。
 著者のいう非英語圏の人々が、安心して日本人と同じくらい英語が下手でいられる世界の実現。日本では、日本語によって近代化が成功したので、日本語だけで何不自由なく、勉強も仕事も、専門職も出来るので、日本人は英語が下手なのです。そのことは、時間と労力とお金のかかる作業をしなくて済むので、それ以外の創造的な技術や学問、文学、芸術、ビジネスが生まれやすいのです。
 私は、全世界が英語化して、全世界がグローバル化して行くことに、強く違和感を感じます。それは、英語を母語にしている国々にとっては大変に利益のあることかもしれませんが、それでは世界に不公平や格差が生まれ、地球が実に味気なくなってしまいます。異文化の交流がなければ、新しいものは生まれてきません。

 私は、ソクラテスがアテナイの街角で、自由に土着語で議論したように、日本語という母語で、私も普通の人々と話し合い、日本の能や芭蕉の俳句など日本文化について思索を深めたり、会話できることに幸せを感じます。そしてこれからの若い世代が、日本の伝統文化を理解できる時代が、これからも長く続くように願わずにはいられません。

 韓国では李朝までは漢字をつかっていましたが、ハングル文字にしたために、李朝以前の文献はまったく理解できなくなってしまいました。日本が英語化を強引に推し進めた結果、日本文化を理解できなくなる若者が増えることを危惧します。

 英語ができなくても、下手くそでも、母語で安心して暮らせる世界であって欲しいです。そして、非英語圏の人々にも、日本と同じように自国の母語を豊かにすれば、豊かな人生を送ることができるというメッセージを伝えることです。そして、日本がその援助をしてあげればいいのです。非英語圏の復活は、きっと世界を豊かにすることになると思います。

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