望月勇プラーナヨーガ気功 エッセイ イスタンブール再訪

イスタンブール再訪 (1)


 モスクの壁の漆喰を剥がした下から、キリストや、聖母マリアのモザイク画が、姿を覗かせていました。それを見ていた私は、心が変容したのです。

 ここは、イスタンブールのアヤソフィアと呼ばれるモスクの中です。このアヤソフィアは、4世紀に東ローマ帝国(ビザンチン帝国)全盛期に、キリスト教の大聖堂として建造されたものでした。15世紀に、コンスタンチノープルが陥落した際、イスラム教のモスクとして改装され、このキリスト教の大聖堂の壁画は、すべて漆喰で塗り込められたのです。それが、20世紀になり、アメリカの調査隊により、塗り込められた漆喰の下からこれらの壁画は発見されたのでした。

 このモスクの壁を剥がした下から、光輝く金色を背景に現れたモザイク画を見て、私は、深い悲しみに包まれました。同時に、私は、そこに「美」」と「愛」を感じました。

 民芸運動を提唱した哲学者、柳宗悦は、悲しみは慈しみであり、「愛(いとお)しみ」であり、古語では「愛し」を「かなし」と読み、「美し」を「かなし」と読んだといいます。

 その時感じた私の中の深い悲しみは、何かを伴い、私の心に「美」を湧き上がらせたのです。そして、「美は愛である」、と柳は言い切ります。

 私は、40数年前、イスタンブールにいました。その時、有名な17世紀に建造されたブルーモスクを見学していました。確かに美しいモスクでしたが、私の心に、深い悲しみの感情は起きませんでした。美しかったけれども、「美」は湧き起らなかったのでした。

 そして、インドへ行く途中、もう一回、心に深い悲しみが突き上げてきた体験がありました。アフガニスタンのバーミアンで、断崖に彫られた大石仏を見た時です。その時も、私の心に「美」を湧き上がらせ、愛しさに包まれる思いがしました。

 今回、2017年6月29日にイスタンブールを訪れたのは、ヨーガの熱心な生徒さんであるMさんに乞われて、ヨーガ教室を開くことになったからでした。そして、10名でヨーガを気持ちよく行うことができました。

 イスタンブール行を決めたのは、テロの脅威を吹き飛ばす、Mさんのヨーガの伝道師みたいな純真なエネルギーに動かされたからです。それと40数年前のイスタンブールへ、もう一度訪れてみたい気持ちも働きました。
 シリア、イラン、イラクに近いイスタンブールの町は、テロ対策のために、地下の商店街、ホテル、モスク、美術館など建物に入る時は、必ず手荷物をCTスキャンで検査されました。相次いだテロの影響で、日本人旅行者は、激減しているといいます。

 トルコ人は、日本人に大変な親しみを感じています。昔から黒海を越えて、ロシアがトルコにたびたび侵略を繰り返していましたので、日露戦争で日本が勝利すると喝采して喜んだといいます。そのような日本人に親しみを感じているトルコ人から、私は旅行中、嫌な思いをしたことがありませんでした。

 トルコ航空の機内で、日本とトルコの合作の映画「海難1890」をやっていました。
 ストーリーは、1890年9月、オスマン帝国最初の親善訪日使節団を載せた軍艦「エルトゥールル号」は、その帰路の途中、和歌山県沖で海難事故を起こし座礁、大破。乗組員618人が暴風雨の吹き荒れる大海原に投げ出され、500名以上の犠牲者を出してしまう。しかし、この大惨事の中、地元住民による献身的な救助活動が行われ、そのおかげで69名の命が救われ、無事トルコへ帰還する事が出来たのでした。この出来事によりこの地で結ばれた絆は、トルコの人々の心に深く刻まれていったのです。


1 2 3 次ページ>>