望月勇プラーナヨーガ気功 エッセイ イスタンブール再訪

イスタンブール再訪 (3)


 このように、兵士が現地に残ることはよくあるらしく、紀元前2世紀頃、ギリシャのアレキサンダー大王がペルシャ帝国を征服した後、アフガニスタンからパキスタンのカイバル峠やインドのインダス川を超えて、パンジャーブ地方へ侵攻しました。その後、アレキサンダー軍はガンジス河の手前で引き返すことになりましたが、その時、ギリシャ人たちの一部は、パキスタンのガンダーラ地方に残り、コロニーを作って住み続けます。そのギリシャ人のコロニーの人たちが、仏教に帰依し、仏教徒になり、初めて仏像を作るのです。1~3世紀の頃です。それまでインドには仏像はありませんでした。そのギリシャ人たちが作った仏像が、ギリシャ風で、芸術的にも優れていたので、ガンダーラの仏像として有名になっていきます。

 イスタンブールへ来てみて、トルコ人たちに触れてみると、オスマン帝国の誇りを持っているのだな、という感じがしました。17世紀の最大版図は、東西はアルゼバイジャンからモロッコ、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロバキアに至る広大な領域に及んだといいますから、オスマン帝国の誇りを持たない方がおかしいかもしれません。そして、多民族で、イスラム教以外に多くの宗教や言葉が入り混じっているようです。
 またトルコ料理は、中華料理、フランス料理と並んで、世界三大料理といわれていますので、トルコ人には他の国の料理がトルコに入って来ても、見向きもしないでしょう。自分たちの料理が一番だと思っているに違いありませんから。そういう面で、トルコ人は、オスマン帝国らしい頑固なところがあるのでしょうか。

 まさか40数年前に訪れたイスタンブールで、現在、ヨーガの教室を開くことなど、私には想像すらできませんでした。面白いことです。



2017年7月4日      望月 勇



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