読むことの大切さ

読むことの大切さ (1)


 ベッドに横になるや、その波動は足もとから一気に体を駆け上り、私の手足を私の意思とは関係なく動かし始めました。私はまるで、あやつり人形のようでした。その動きは時にアクロバティクでとても自分で出来るものではありません。手足の動きは腰に作用し始め、腰の奥の方が伸ばされたり引っ張られたり、顔が歪む程痛いポーズが数十秒続くこともありました。その痛みの極みともいうべき時、意識が肉体を離れ、痛む体と離れば離れになっているような不思議な感覚を覚えたりもしました。

『いのちの知恵』 を拝読する一ヵ月前、私は脊柱管狭窄症を発症していました。
 医師から、これは進行性の病気で治る見込みは無く、歩行困難になれば最後は手術と言い渡され、暗澹たる思いでいたところだったのです。

 三時間してやっと波動が収まりました。
 この波動はひょっとして、腰を治してくれているのだろうか。私は自分の身に起きた不思議な出来事に茫然としながら、望月先生のおっしゃる通りの、宇宙の真理をわが身で体験した感動にただただうち震えておりました。

 「本当の自分に立ち返り、リラックスしていると、一気に水門が開いて、宇宙のエネルギーが自分に流れ込んできて病を癒してくれるのです」、という本の一節。
 本当に本当に、この通りの宇宙の真理が私の身に起きたのです。感動で涙が溢れました。

 その日の朝、窓のカーテンを開けると、回りの景色がすっかり変わって見えました。何もかも輝いて見えるのです。
 その日も、愛犬と毎日散歩している五稜郭公園へでかけました。
 千六百本の桜の木々に、百本の赤松。ここはただのきれいな公園ではなく、この公園の全てが、宇宙から私への大切なメッセージに溢れているのだと初めて気づきました。

 全知全能の宇宙の神に昨夜の感謝を伝えるべく、私は一本の桜の木の下に立ち、真っ白な雲に向かって、ありがとうございま~す、と心の中で叫びました。
 何ということでしょう、その雲がぱっと花火のように散ったのです。目の錯覚かと回りに浮かぶ三つの雲に試すと、それも次々にぱっと散りました。そんな馬鹿なと、今度はとても消えそうも無い大きな雲に向かって叫んでみました。それもぱっと散りました。一体全体何が起きたというのでしょう。これは昨夜の出来事にも増して私を驚かせました。

 この日以来、言葉をかけると瞬時に消える雲や、瞬時でないものの、見定めた雲は決まって消えるようになりました。
 夜はまた、まるで宇宙の波動に合わせて振動しているような雲を見ることもあるのです。

 夜の波動の働きはあの日以来、毎夜毎夜2,3時間、六ヵ月もの長きに渡り続きました。
 寝不足にもかかわらず、少しも疲れないのが不思議でした。半月ほどで足の痛みも痺れも収まり、狭窄症の薬は半月服用しただけ。通院する必要も覚えず、もう二年半が経ちました。
 六ヵ月に及んだ大きな波動は今は影を潜めましたが、時々症状が出ないかな、と思うと内なる気が働いて直ぐに治まります。
 これは内気功というのでしょうか。
 週4,5回社交ダンスを楽しんでいますが全く疲れを知らず。小さな時から腺病質で病院と縁が切れなかった私が、七十近くになって医者いらずになったのですから回りの者がみんな驚いています。

 『いのちの知恵』 は正に私のバイブル。
 毎日のように読み返しています。
 この本に巡り会い、私の人生観は大きく変わりました。
 今まで、ままならない思いで過ごしてきた人生。苦労ばかりだと思っていた人生。
 しかし、今までの人生の全ての出来事は、宇宙の真理に出会うために必要欠くべからざるものであったのだと、理解するに至りました。そういう理解出来た時、私は我が人生の全てが有難く、愛しく思えるようになりました。

  先生の提唱されている
 私は日々ますます良くなりつつあります。
 私が幸せで健康でありますように。
 私の回りの人たち皆が幸せで健康でありますように。
 私も毎日唱えることにしたこの言葉の最後に
 私の宇宙の神、心理に出会えた今が一番幸せです。
 という一節を加えることにしました。
 これからの人生は、本当の自分、真我に巡り会う為の人生なのですね。人生に大きな目標、喜びができました。

 『いのちの知恵』 で無知な私をこれほどに目覚めさせて下さった望月先生。どんなに言葉を尽くしても、この感謝の気持ちをお伝えする事は出来ないのですが、先生にひとことお礼を申し上げたく、六月の札幌ヨーガ教室に参加させて頂きました。

 瞑想や気功による気づき等、まだまだお伝えしたい事は沢山あるのですが、それはまた、次の機会に譲ることと致します。
 二十八日の再会を、心より楽しみにしております。

かしこ


  令和元年九月吉日
  望月 勇 先生へ

函館のはづきより