竹富島で日本人のルーツを考える

言葉から見えてくるもの 1


スピリチュアルな言葉

 私たちは 「生かされている」 という言葉を知っています。その言葉を聞いて何となく理解できますが、ところで実感としてそう感じたことはあるでしょうか。
 普段私たちは、「私は自分で仕事をし、自分で生活して自力で生きている」 と思っていますので、「あなたは生かされていますよ」 といわれても、そういう感覚はあまりないのかもしれません。
 ところでもしあなたが病気になったら、誰の助けもいらない、自力で乗り切るから大丈夫だと考えるでしょうか。そう考える人ほど、癌にかかった場合、再発する割合が高いそうです。
 反対に、 「私は生かされている」 というスピリチュアルな意識を持つ人は、人間の限界を超える大いなる力によって、大きな生命力を与えられ、再発する割合も低くなるようです。

 この 「生かされている」 という言葉の本当の意味は、危機に直面しないと、実感として分からないのかもしれません。
 私も 「生かされている」 ことを実感したのは、命の危険を感じたときでした。その情景は、今もありありと思い浮かびます。

 20代のころ、シナイ半島を独りで放浪していたときでした。ワディと呼ばれている涸れ谷を歩いていました。そのワディの谷底を何日も歩き進んだとき、広大な谷底にでました。その谷底が、突然、左右二つに分かれていたのです。谷底を進むルートは一つしかないと説明されていたので、どちらを進んだらいいのか途方にくれました。

 私は、リュックにある水と食べ物が残り少なくなっていることを思い、もし谷底を進むルートを間違え、砂漠で迷ったら餓死するかもしれないと考えました。
 さて、どちらへ進むべきか、一方を選べば死につながるかもしれない選択に、私はのどが異様に乾きました。
 右か左か……待て……引き返そうか……それでは水と食べ物が持たない……いや大丈夫だ、どちらか一方へ進めば何とかなる……といった考えが浮かんでは消え、消えては浮かび、頭の中で渦を巻いているようでした。
 そのうちに、なぜルートをもっと詳しく調べなかったのかと、心のなかで自分を責め始めました。ネガティブな考えが次々に出てきて、自分を厳しく責め続けて時間が過ぎていきました。

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