レンマの詩 (3)
友よ!
如来蔵思想は、仏教学者たちから批判されていることを知っているだろうか?
ブッダは、縁起を説き、無我を説いて、バラモン教のアートマン(永遠不変の自我)を否定したのだから、バラモン教の「梵我一如」のような土着の如来蔵思想は、ブッダの教えに反するではないか。如来蔵思想は、仏教ではないとも言うのである。
批判は、悪いことばかりではない。仏教学者の鈴木大拙が、若い時に英文で書いた仏教書が、それは本来の仏教ではないと世界の学者や研究者たちから批判された。彼は、日本の仏教が本来の仏教と思い込んでいたのだ。恐らくその批判から、名著 『日本的霊性』 が書かれることになったのだ。
とにかく、日本の仏教は、おしなべて如来蔵思想なのだ。その如来蔵思想に最も影響を与えた仏典が、「大乗起信論」であり、日本の天台本覚思想なのだ。ただ道元だけは、正しく仏教を理解していたのか如来蔵思想に反対したが、結局妥協した。
仏教を俯瞰する(歴史的に見る)と、ブッダの多様性ある仏教は、時代を経て、各国へ伝わって、変容して行ったのだ。
だから、日本の仏教は、原点はブッダの仏教であっても、日本独自性の仏教とも言える。アニミズムに育まれた日本人は、木や石にも魂が宿る、と言ってきた。そこで、インドの経典にはない 「山川草木悉皆成仏」 という独自の経典も作ってしまうほどなのだ。
皮肉なことに、大乗仏教がブッダの説いた縁起や無我を、理論的、思想的に深めれば深めるほど、如来蔵思想が中心を占めることになって行くのである。
龍樹は、アリストテレスのロゴス的知性で考えた論理学の三法則を、レンマ的知性で徹底的に批判した。
一の同一律(同じものは同じ)を、「同じままであるものはない」 に解除。
二の矛盾律(肯定と否定は両立しない)を、「否定と肯定は両立する」 に解除。
三の排中律(事物は分離できる)を、「あらゆる事物は分離することができない」に解除。
こうして、ロゴスの三原則が解除されて顕わになってくる実在の様相を 「縁起」 と呼んだのだ。
こうしてみると、「否定と肯定は両立する」 と考えた龍樹は、如来蔵思想で問題ないと考えていたのかもしれないのだ。
ブッダは無我を主張した。インドの宗教的、哲学的伝統では、全宇宙の究極(ブラフマン)と人間の内なる自分の実体(アートマン)とは、一体であると考える。それに対して、ブッダは、アートマンなどというものはないと言ったのだ。
このように無我を主張したブッダは、一方では 「己こそ己の主人である」 と、我(自己)を認めるようなことを言っているし、アートマン(我)は存在しているか、いないかについては、沈黙を守っていた。それを 「無記」 という。
つまり肯定も否定もしない。これこそ竜樹が、矛盾律(肯定と否定は両立しない)を解除して、「否定と肯定は両立する」 にしたことに呼応するのだ。
自然界では、少女が大人になって男性になることもある。魚でもメスだけ水槽にいれておくと、体の大きな魚がオスに性転換し、オスだけにしておくと一匹がメスになり卵を産んだりするのだ。つまり、「否定と肯定は両立する」 のである。
南方熊楠が、「ふたなり」 を研究していたことは、興味あることである。
考えてみると、世界中の詩人、小説家、画家、音楽家たちの理想は、みんな自分と宇宙が一体となると考えているので、この土着の如来蔵思想の方がむしろ普遍的なのだ。
ヒンズー教の梵我一如と、道教と老荘思想の 「道」 は、仏教の 「如来蔵思想」 「アーラヤ識」 「空性」 などの考えと強い親和性を持っていたので、日本独自の仏教が成立したのも必然なのだ。
これは、言葉を土着語と普遍語に比較してみると理解し易い。
今、世界中で使われている普遍語は、英語である。英語も最初は、ドイツ地方の土着語で、それにイギリス地方の土着語とケルト語が一体となった土着語だったのだ。
8世紀のヨーロッパでは、アラビア語が普遍語であった。スペインからイスラムが去った後、中世のヨーロッパは、ラテン語が普遍語になったのだ。
日本でも、国語になる前は、地方の方言は土着語だったのだ。九州弁と東北弁では、話が通じなかった。そこに、江戸時代にオランダ語を翻訳し、明治時代に英語の翻訳語が入り、明治時代には、世界の科学や思想や医学などを理解できる国語に育っていったのだ。
大切なのは、それが正しい、間違っているということではなく、それを実践して、その人が救われるのであれば、それには価値があるということである。
2020年3月18日 望月 勇