レンマの詩 (2)
友よ!
病になっても
ロゴスを止めて
レンマの海へ
思いをゆだねよ
病になっても
ロゴスを止めて
レンマの海へ
思いをゆだねよ
最近、ロゴスを止めて、末期がんが治ってしまった人がいた。本人もなぜなのか途方にくれている。それは、心配や余計なこと(言葉)を考えないで、ただ死ぬまで生きればいいのだから、とのんきに暮らしていたのだ。ロゴスを止めて生きていた結果、レンマの力が働いたのだ。
友よ!
お金がなくても 悔やむことなかれ
そして レンマの海へ
思いをゆだねよ
お金がなくても 悔やむことなかれ
そして レンマの海へ
思いをゆだねよ
あるお金に悩んでいる主婦がいた。ご主人が早期退職をして、収入がなくなり、家のローンも返済しなければならない。今からどうしてローンを返済しようか、どうして仕事を探そうか、どれくらい稼げるだろうかと悩んでいるときに、彼女は、DVDを見ながらヨーガをやったのだ。
深いリラックスが起きると、株券の株が浮かんでくる。ロゴスを止めたら、株が毎回浮かんでくるので、今まで振り向きも考えもしなかったのに、株をやりなさいということかと理解して、株を始めたのだ。
するとそれが当たって配当が付きびっくりしたという。彼女は、嬉しくなり、もっと儲けようとヨーガを短くして、時短ヨーガをすると、みごとに外れることを知る。
フルコースで深いリラックスができると、頭に次にこれを買いなさいという株の銘柄がでてきて、それを買うとみごとに的中するといことを知る。そうして、彼女から不安は消えた。
友よ!
死を恐れるな
人は 死してロゴスを手放し
いっとき 美しい 崇高な 死に顔を見せ
そうして 魂のふるさと レンマの海へ帰って行くのだ
白波が やがて大海と一体になるように
死を恐れるな
人は 死してロゴスを手放し
いっとき 美しい 崇高な 死に顔を見せ
そうして 魂のふるさと レンマの海へ帰って行くのだ
白波が やがて大海と一体になるように
このようなレンマ的知性は、大乗仏教の龍樹や世親らによって発見されたのだ。その結晶が 「華厳経」 である。
「華厳経」 では、「一即多・多即一」 という。また、「法界」 という。法界とは、この世の有情、いのちあるものには、すべてレンマ的知性が備わっていると言う。それは、ブッダのすべてのものは、縁に依ってつながっているので、そのものだけで存在するのはない、という考えを究極まで突き詰めた結果である。そうして、心の核、「アーラヤ識」 を発見する。フロイトが無意識を発見する1600年前である。
このアーラヤ識に、ロゴスとレンマの二つが働くと、苦悩を生み、それを 「無明」 と呼んだのだ。
ブッダの説いた縁起法の考えをさらに突きつめて、龍樹は諸現象は空である 「色即是空」 とし、世親は空である心に諸現象の一切が生起する 「空即是色」 とし、それが統合されて 『華厳経』 が生まれたのだ。こうして、縁起の思考=レンマ的知性が生まれたのだ。
『華厳経』 では、ヨーガによる瞑想で、言葉(ロゴス)を止めると、レンマ的知性が働き、はじめて人間の前に 「聖なる実在」 が現れると主張したのだ。この純粋レンマ的知性を、「如来蔵」 と言ったのだ。「如来蔵」 とは、如来(仏)を胎児として宿す意味である。
如来蔵思想が生まれてくるのは、4世紀ごろ、大乗 「涅槃経」 の 「一切衆生悉有仏性」 と言って、すべての人々は、仏の本性を自分の中に持っていると説かれてからである。