竹富島で日本人のルーツを考える

人生は予見不可能なもの 2


心臓手術

 私は6月25日に肺炎から退院したのですが、7月に心房細動が出たので、検査入院しました。
 右の心臓の冠動脈が石灰化して完全に詰まっている、ということが分かり、8月に心臓の手術をしました。カテーテルを使えないので、胸骨を4本切って心臓の手術となりました。それから4か所バイパスの手術をして時間はかかりましたが無事に終わりました。

 麻酔が覚めました。医師や看護師が痛くはありませんか?と何回も聞くのです。胸骨を4本も切断されて、痛みが全くないのです。言われて初めて全く痛みがないのに気づきました。男性でも痛みでうめくそうです。看護師やリハビリ担当者が不思議に思って、あなたは何をやっていたのですか?としつこく聞くので、気功とヨガを何十年もやって来ましたとうち明けました。
 「そういえば、ヨーガに痛みを消す方法があります。『プラテイヤハーラ(制感)』といい「感覚を制する」という意味です。
 昔インドのマハトマ・ガンデイ–が盲腸になり、医師に麻酔は必要ありませんと言って、麻酔なしで手術をして、終わってベッドの上で3人のお弟子さんたちと談笑している写真がありました。

いのちとは?

 「稀代の天才」として知られるウイトゲンシュタインは、過去の哲学は、無意味な問いと答えの応酬に過ぎないとして、「語りえないことについては、沈黙しなければならない」と言いました。
 彼は100年以上前の人ですが、彼の言語哲学は今のAIに通じています。言葉の使い方を理解すれば、言葉を理解したと言えるのです。
 しかし彼は、痛みを全く感じたことのない人に、痛みという言葉を本当に理解できるのだろうか?と疑問を持って、彼の今までの言語哲学を否定しました。

 「予見不可能であるとは、まったく予見できないのではなく、わかり合えたり、わかり合えなかったりする、いわば半透明の状態です。」とウイトゲンシュタインは洞察しています。
 もし他者の振る舞いが完全に予見可能になったら、人間はロボットのような存在になってしまうのです。
 ウイトゲンシュタインは、人間とは何か、どういう存在か、という本質的な問いに迫るものであると考えていたようです。

 人生は、予見不可能なもの、分かったり、分からなかったり、半透明な状態でいいのです。そこにいのちの本質があるからです。

 今私は、都内のリハビリクリニックで、リハビリを続けています。時間はかかるかもしれませんが、また皆様とお会いできる日を楽しみにしています。


2026年9月13日     望月 勇