竹富島で日本人のルーツを考える

人生は予見不可能なもの 1


 今まで生きてきて大体先のことは予見がつきます。しかし予見のつかないことも起きます。

肺炎になる

 4月下旬、沖縄の西表島ヨガ合宿から元気に帰りました。このまま調子良く生活できると予見していました。
 ところが体がどうしょうもなくダルくなり、ものを食べるとアゴが我慢できないほど疲れるのです。
 5月1日、そこで意を決してH病院の緊急外来へ行きました。
 血圧が200以上あり、心拍数が200を超えていました。すぐその場で入院になりました。
 翌日、肺炎と診断されました。普通なら4、5日で退院できそうですが、肺の中を内視鏡を入れて検査したら、肺の中は血液であふれ、肺に水も溜まっていました。レントゲンの結果、左肺は真っ白でした。また肺に水も溜まり心臓を圧迫して、菌も見つかりました。
 医師は、あなたの場合、最善を尽くしますが、成功するかどうかどうか治療してみないと分かりません、と言って誓約書にサインさせられました。そしてICUに運ばれました。

 口の中にチューブの管の束を入れられて、鼻から口に人工呼吸器を付けられました。また抗生剤の点滴、栄養剤や水の点滴をつけられ、手足を固定させられました。
 昼夜を問わず機械のメーターのアラームで酸素量を増やしたり、移動式のレントゲンで肺をチェックして、肺に溜まった水を針を刺して抜いていました。
 この状態はまったく苦痛そのものでした。そして日にちが過ぎてゆく内に、時間の感覚がなくなりました。
 私は幼児から体が弱く、死ぬことが怖くてなりませんでした。今回は死を覚悟しました。死を覚悟したのはシナイ半島の時以来2回目でした。

 そのとき、死んでも意識は消えてなくならない。宇宙のゼロ・ポイント・フィールドへ帰って行くのだ、という思いが死への恐怖を消してくれました。

多くの激励のメール

「死ねばいいんだ」とほとんど絶望な日々を過ごしていた時、私を励ましてくれたのは、皆様の多くのメールの励ましの言葉でした。皆様の心の奥底から、ひとりでに出て来てしまう言葉です。

「20代の頃から、困ったことがあると毎回助けてもらい、50代まで生きてきました。先生死なないでください。絶対生きてください。先生が死ぬのは絶対いやです。私には何もできませんが、毎朝祈ることはできます」

 その飾らない本心から出る言葉に、どれだけ勇気づけられたか、心よりお礼申し上げます。
 一般読者からも、近くの神社に朝お祈りに行きます。など多くのメールが届きました。
 私はこれらのメールに、魂が震えました。「私は生かされている」もう一度元気になって頑張ろうという気持ちが湧き上がってきました。

 また20年以上も前に施術を受けた人から、遠隔治療の依頼があったりして、この世界は量子もつれですべてが繋がっていることを感じます。

 6月1日に、ようやく一般病棟に移されました。そこでびっくりしたのは、筋力がなく、立って歩けないのです。56キロほどあった体重が46キロになっていました。脂肪がないため、体温計を脇に挟んでもすり抜けて落ちてしまうほどでした。