2017年11月チベットとネパール思索の旅

チベットとネパール思索の旅 (3)


食べものについて考える

 旅の途中、チベットの民家で、ツァンパを食べました。チベットの主食で、大麦を炒って粉にしたものをバター茶でこねて、ダンゴ状にして食べます。今、チベットは中国の自治区になっているので、中国から野菜が豊富に入ってきますが、昔はチベットではほとんど野菜ができなかったので、食べることはなかったそうです。その代わりに、肉は好んで食べます。

 私は、このツァンパを食べた時、こがした麦の匂が、どこか郷愁を誘う懐かしさを覚えました。まだ終戦間もない子供のころに食べた、「こうせん」 とか、「はったい粉」を思い出したからでした。
 昔からチベットでは、荒涼とした大地で、このツァンパをつつましく食べて生きてきたのです。この厳しい自然の中で生活するには、贅沢をする気持ちは起きなかったのでしょう。チベットの男性のガイドさんが、子供の頃は10人くらいのグループで、3日間歩いて学校へ行ったそうです。途中洞窟で寝て、運良ければ遊牧民のテントに泊めてもらい、学校へ通ったというのです。

 その反対に中国では、広大な国土の中に、自然豊かな地域もあり、食生活は豊かで、人々は美食に走りやすかったのではないでしょうか。日本人もグルメですが、今に始まったことではなく、日本人は5,000年も前からグルメだったのです。縄文・弥生時代の遺跡のゴミ捨て場から、鯛とか鯖とか色々な魚の骨がでてきますが、フグの骨までありました。フグを最初に食べた人は恐らく死んだでしょうが、それを美味だと思ったグルメの人たちが、とうとうフグの毒抜きを発見したに違いありません。このような日本人のグルメはまだほほえましいものです。

 一方、中国人のグルメはもっとすさまじいものです。美食から珍味へとエスカレートして、広東料理の珍味「猴児脳袋ホウルナオタイ」(猿の脳みそ)に食指が動き、果ては人肉を食べるに至るのです。人間の欲望は恐ろしいものです。
例えば『韓非子』の中の一節に、主君(桓公)が人肉を食ったことがないので、コックの易牙(えきが)が、我が子を殺し、蒸して主君へ献じ、主君がそれを食べたとい記述があります。由緒正しい歴史書には、人肉料理法を記したものが多くあり、人肉の味は 「小児を以て上となし、婦女これに次ぎ、男子またこれに次ぐ」 とあり、古来の光栄ある人肉嗜食者のリストもあるというから仰天です。
 そして、さらに料理としての人肉が普遍化すると、『水滸伝』 の中に出てくる居酒屋の人肉万頭(まんとう)になるのです。中国の文学者、魯迅の小説 『狂人日記』 に、「人肉万頭(まんとう)」や、「人血万頭」 など血なまぐさい話が出てきます。人間は、欲望のコントロールが利かなくなると、とんでもない暴走をします。
このようなことを考えると、チベットの質素なツァンパが、本当にありがたく思えてきます。この質素なツァンパを食べながら、信仰心のあついチベット人の姿を見て、私は、素朴な幸せに包まれるのでした。


前世の記憶

 そしてもう一つ、チベットに来て、深いやすらぎを覚えことがありました。
 それは、私が幼いころ、きっと3~4歳くらいだったと思いますが、お祖父さんの家の仏壇の前に坐り、棒切れを持って木魚をたたく真似をし、何時間も、ある時は朝から夕方まで坐っていたというのです。周りの大人たちは、感心な子だねと言って褒めたそうですが、その行為について私はぼんやりとしか覚えていませんでした。今回、チベットのお寺の中での瞑想は、その子供の幻影を透して、ある修行僧の姿を、私の眉間へ映し出したのでした。

 それは、同時に、ミュンヘンで見たあの分厚い人名辞典のような本に載っていた、髭を生やした修行者の絵図のようでした。その幻影との対面は、まるでやっと故郷へ帰ったかのような、懐かしく、深いやすらぎに浸った瞬間でした。

 私のこのような体験は、前世の記憶ともいうべきものかもしれません。しかし、こういうことを信じない人もいます。信じるか信じないかは、その人の勝手ですので、それはそれでいいのですが、今まで気功の施術をしてきた中で、どうしても前世を認めない訳にはいかないこともありました。

 気功の施術で、深いリラックスに入った60代の女性に、それは起きました。ようやく目を覚ましたその女性は、終わるのを待っていた友人たちに、突然英語で話し始めたのです。それも、英国人が話すネイティブな発音の英語です。
 友人たちは、ビックリしました。そして、さらに英語ではない言語で話しかけたのです。友人の中に、スウェーデンの元駐在員がいたので、その言葉がスウェーデン語だと分かりました。やがてその女性は、夢から覚めた顔をして、何ごともなかったかのように日本語に戻りましたが、本人は英語やスウェーデン語を話したことはまったく覚えていませんでした。こんな出来事は、前世の記憶ということを考えないとちょっと理解ができません。


アジアの人々の心の在り方について

 各国の特長を一言でいうと、インドは「輪廻転生」、中国は「不老長生」、東北アジアは「招魂再生」になります。

 輪廻転生は、仏教徒やヒンズー教徒に信じられていて、チベットもそうです。
 今回、とくにチベットへ来て、一般民衆の五体投地の姿を、お寺の境内や街角のあちこちに見ると、それをよけいに実感しました。町の通りは、朝から晩までお寺巡りをする巡礼者たちでいつもにぎわっていました。地方からやってきた巡礼者たちは、色鮮やかな民族衣装をまとい、仕事が終わると冬に稼いだお金を全部持って、ラサの寺々へ巡礼に来るのです。なぜかというと今功徳を積んでおけば、来世にもっといい所へ生まれ変われるという信仰があるからです。お寺で見ていると、高額な紙幣をお賽銭として供えた男が、お賽銭箱からお釣りをもらうように、多くの少額紙幣を抜きっとっていました。その男は、来世のよき輪廻を望むために、きっとその抜きとったお賽銭を次の仏像に供えるのです。

 次に、中国は、不老長生です。不老長寿ともいい、道教の教えでは、歳を取らないで仙人みたいに長く生きることを理想にしていました。秦の始皇帝が、不老長寿の薬を探し求めたことは有名です。

 そして、東北アジア人は、先祖の魂を招いて再生を願っていました。この招魂再生は、儒教の教えです。儒教の考え方では、人が死ぬと霊魂となって、その辺りをふわふわただよっていると考えました。日本でも昔は、そんな悪いことをすると草場の影でお母さんが泣くよ、とお年寄りに言われたものです。
 儒教では、お盆になると祖先の霊を迎え火でお迎えし、その霊が憩えるように位牌を置き、お供え物をしてもてなし、それから送り火をして山野へ送り返すのです。この行事はお盆と呼ばれ、本来は儒教の宗教行事でしたが、いつの間にか日本では仏教行事になっています。
 日本は不思議な国で、仏壇の中の仏像は仏教、位牌は儒教、加持祈祷は道教、それに御札は神道で、教会の結婚式はキリスト教なのです。

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