2018年9月中旬 トルコの旅 (3)

2018年9月中旬 トルコの旅 (3)

多様性に満ちたイスタンブール
 イスタンブールという土地は、大変に面白い場所で、アジア大陸とヨーロッパ大陸という異なった大陸が、細いボスポラス海峡一つで区切られています。このように同じ都市の中に、同時に二つの大陸が存在する場所は、世界にイスタンブールしかありません。
 このような地理的条件により、イスタンブールはローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国と3つの世界都市となった稀有の都市でした。そのため、東西の人種や文化や宗教が混在しているのです。
 このようなイスタンブールの特長は、多様性があるということです。この多様性が、旅行者とって大変に魅力的であり、また居心地のいいものになっています。
 その多様性とは、イスラム教の国であちこちにモスクが点在する地域に、ギリシア正教の総本山があり、その隣にギリシア正教の神学校があり、イスラムに支配されてもこの学校ではギリシア語を話すことを許されていました。また、シリア正教、アルメニア正教、エジプトのコプト正教、ユダヤ教などがあり、宗教的多様性が見られます。またイスラムの神秘主義スーフィーが生まれたのもトルコです。そして、これらの外国の多くの信者が、イスタンブールへ巡礼に訪れています。
 実際、私たち旅行者の団体も、アルメニア教会を訪れて、教会の静寂な内部で瞑想をしました。このようなことも、多様性を認めているからこそ実現したのです。

 このような多様性のある土地は、私の心を癒してくれました。
 20代にギリシアからイスタンブールへ向かう汽車の中で、私は 「普通」 であることの真の尊さを学びました。また朝まだき、車窓から草原を歩いて行く巨人の幻影を見ました。そしてイスタンブールからインドへ不安を抱えて出発するときに、収集して重くなったコインの袋を、旅行者へ上げて身軽で旅することの快適さを知り、「執着を捨て、物を手放すこと」 を啓示してくれたのもイスタンブールの街でした。

 それから、インドから再び陸路でイスタンブールへ戻った時、ヒッピーのような髭もじゃの汚い恰好をした青年を、街のレストランでは普通に受け入れてくれました。ヨーロッパの国々では、店に入ることを拒否されたこともありました。

インドから戻った筆者
インドから戻った筆者

 また、30代初めの頃、ロンドンから陸路でアフリカ大陸をケニアまで縦断して、そこからエチオピア、スーダン、エジプトを経由し、カイロから船でヨルダンへ渡りました。
 途中、紅海から眺めたシナイ半島は、私の心に格別な思いを呼び覚ましました。ヨルダンで泊まった宿屋の主人が、机の引き出しから弾を抜いた拳銃を出し、見せてくれました。大型の黒い拳銃は、持つとずっしりと重く感じられました。
また20代に、イスラエルのキブツに滞在していた頃、夜キブツを警護している男が、お茶を飲みに私の部屋に入って来ました。肩の自動小銃のベルトを外し、弾倉を抜いて私に預けました。自動小銃は銃身が短くて、以外に軽く感じられまれました。
 このような銃が身近にあると、ヨルダンからシリアの国境を越えて、シリアの建物の壁に残る数知れぬ弾痕を見ても、あまり驚かなくなっている自分に気づきました。

 4000年前から交易都市として発展してきたシリアの首都ダマスカスでは、身ぎれいな若い紳士が、私が日本人と知ると自家用車で遺跡を案内してくれました。そして翌日、バスでパルミラ遺跡へ行きました。前日、雨が降ったらしくて、沙漠の窪みはちょっとした湖になっていて、トラックが半分水没していました。沙漠では、2,3年に一度大雨が降るそうです。

 シリアへ来る前に、私はヨルダンでペトラ遺跡を訪れて、今思えばとんでもないことですが、世界遺産のペトラ遺跡に、違法に住んでいる住民から、遺跡の岩窟の部屋を借りて泊まりました。夜は必ず板戸をしっかりと閉めるようにと言われました。その意味が分かったのは、深夜でした。狼の遠吠えがしてから、板戸をがりがりとかじる音で目を覚まし、私は冷や汗をかきました。
 最近2018年11月、そのヨルダンのペトラ遺跡に大雨による土石流が発生し、12人が死亡し、観光客3,500人超が避難したというニュースがありました。ニュースでペトラの映像を見ると、私の見覚えのあるペトラ遺跡のワディ(涸れ谷)は、濁流のような凄まじい土石流と化していました。

 古代のパルミラは、地中海沿岸のシリアやフェニキアや、東のメソポタミアやペルシアを結ぶ交易路になっていて、シリア沙漠を横断するキャラバンにとって重要な中継地点だったようです。
 私が目にしたパルミラは、沙漠の中に、忽然と姿を現す遺跡でした。神殿から始まる広い列柱道路は、左右に整然と並び、柱には華麗な装飾が施されていて、それがずっと続いていて、規模の大きさを感じました。そして紀元1世紀初頭のローマ劇場もあり、画家の平山郁夫さんが、パルミラはシルクロードに咲いた大輪の花のようだ、といった言葉がよく分かりました。そのパルミラの遺跡は、ISに完全に破壊されて今はありません。

アフリカからトルコへ旅行中の筆者
アフリカからトルコへ旅行中の筆者

 遺跡の隣にある町に、3日ほど滞在しましたが、宿を出る時に、そこの40代のシリア人のおかみさんから、日本へ手紙を出して欲しいと頼まれました。私は承諾して手紙を受け取りましたが、住所は、Mr○○、Otaku, Tokyo, Japan. とありました。大田区の後に番地がないことに、後で気が付きました。投函できないまま、それを、2017年まで保管していました。私は手紙の中身に興味がありましたが、封を切ることなく破棄しました。 
 それからトルコの国境を越え、ロンドンを出発してから、ようやく7カ月ほどかかってイスタンブールへ辿り着きました。イスタンブールの街は、疲れた私をやさしく迎えてくれるようでした。