内臓でヨーガをやるとはどういうことか?

内臓でヨーガをやるとはどういうことか? 2


「思う人」 と 「考える人」
 このように考えてくると、「思」 という漢字は、「こころ」 が 「あたま」 を支えている、つまり植物神経が動物神経を支えている構図になります。そこで三木は、「思う人」 と 「考える人」 ではまったく違うというのです。

 「思う人」 の代表は、広隆寺の弥勒菩薩、半跏思惟像です。国宝で最高傑作といわれている仏像です。右手を頬において、背筋を伸ばし、じっと内臓に、「宇宙リズムと秘めやかに共振する植物系の、その内に深く蔵されたこころ」に耳を傾けている人です。このような観点から見ると、私には、この「思う人」 は、アーサナの理想的な姿ではないかと思われてくるのです。

 一方、「考える人」 の代表は、ロダンの彫刻 「考える人」 といえます。身を折り曲げて、口を塞ぎ、植物神経(内臓)を閉ざすように身を屈している姿は、「いいかえれば 『感覚―運動』 の動物極を全面に押し出して」 脳ミソで考えている姿です。

 私たちは、アーサナをやるときに、「思う人」型か、あるいは「考える人」型か、どちらでやっているのでしょうか。または、意図的に努力してやっていないでしょうか。アーサナに努力は、必要ありません。ただ、アーサナをして、体をゆるめて、内臓から来る感覚を感じるだけです。頭を使う必要はありません。知識も必要ありません。

 昔、お母様が日本人で、お父様が中国人のハーフの女性がロンドンのヨガクラスに参加しました。紹介者が、彼女はものすごいヨガ通です、というのです。確かに、少し話して、ヨーガの知識は相当なものであることが分かりました。
 そして、呼吸法が始まった時、彼女の手がさっと上がり、「吐いた息は、どうしたらいいですか?」 「吸ってください」 「吸った息は、どうしますか?」 「吐いてください」
 私は、このやり取りをしていて、ヨーガには頭で覚える知識は必要ないとつくづく思いました。

 もう一つ、大切なことがあります。内臓からくる感覚を、ただ感じる「感覚」と「知覚」です。感覚は、受動的な生理現象で、知覚は能動的です。熱いものに触れた時、とっさに手を引っ込めます。これは感覚です。脳は「これは熱い」と思います。これが知覚です。普通、感覚と知覚はほとんど同時に起こりますから、混同してしまいます。違いは、知覚は感覚より0.5秒遅いのです。