三井さんの死が教えてくれたこと 3
それから三井さんは、夏に合宿をやりましょうと提案しました。夏でも涼しいところはありますといって、スペシャルオリンピックスのツテを使って、長野の飯縄高原にある 「水輪」 という施設を使うことができました。標高1000メートル以上ありますので、夏でも涼しいのです。こうして夏のヨガ気功教室の合宿が、2005年から毎夏開催されることになりました。
私は、毎年夏にモナコへヨガを教えに行っていたのですが、それが丁度終わるので、ロンドンから飯綱高原へ毎夏行くことになりました。60種もある呼吸法を、中でも高度な呼吸法をどう教えるべきかと考えた末、なんとか60種類の呼吸法のテキストを作りました。最初は、三泊四日で教えました。人数は、会場一杯で4~50名はぎっしり詰まっていました。その当時参加された人に聞くと、標高も高いし、長時間座って足が痛くなるし、途中から帰ろうかと何度も思ったそうですが、続けると二年目から楽になったそうです。
その最初の2005年の夏合宿には、三井さんのご自慢のお孫さんで弘世史子さんの次男、10歳の男の子が参加していました。足を組んで、ちんまりと坐っている姿が、ほほえましく未だに目に浮かんできます。その当時の三泊四日の感想文に、こう書いています。
「ヨガはこの合宿で初めてやりました。一泊二日で帰るつもりだったけれども、ちょっとわからないけれど自然にかこまれてこの水輪で初めてヨガをやってとても気持ちがよかったです。」
その後少年は、大学へ進学してラグビーをやり、困ったときには瞑想をし、今では商社マンとして海外で活躍しています。
この夏合宿は、三井さんにも、大きな変化をもたらしました。ヨガをやっても、数えきれないほどの靴と洋服だけは、どうしても捨て去ることはできない、私は欲深い人間です、と思い悩んでいました。ところが、合宿に参加された後、三井さんは、先生、とうとう靴と洋服を一桁に処分できました、というのです。三井さんは、『ヨーガ・スートラ』 の 「知足」 の教え、「足るを知る」 を実践したのでした。すべて満ち足りていることを知れば、外へ求める気持ちがなくなり、必要なものは、すべて心の中にあるのです。ヨガは、足るを知り、心を内側へ向ける方法です。
夏合宿以前の三井さんは、トモノホールでも、若々しく、いつもびしっと決めた姿をしていたのです。三井さんと面識のない人は、「あの人、きっとどこかの銀座のマダムよ」、と言っていたのを耳にしたことがありました。夏合宿後は、三井さんは、街でトレーニングウェアとスニーカー姿になりました。当時、三井さんの友人は、街で三井さんの容姿を見かけ、怪訝そうに思ったそうです。三井さんは、銀座のマダムから気品のあるヨギーニ(女性ヨガ行者)に変身したのでした。
またビザ取得が難しいブータンのヨガ研修旅行も、三井さんのお陰で実現しました。今思い返せば、貴重な懐かしい思い出がいっぱい詰まっています。それから、インドも、屋久島の合宿も、チベット旅行も、みな忘れがたい思い出として残っています。