三井さんの死が教えてくれたこと 2
それから11月25日に、突然、三井さんの訃報が飛び込んできたのです。私は、えっ!びっくりです、という返信しかできませんでした。ただ涙が流れるだけでした。
三井さんは、ヨーガの瞑想中に、お一人でお亡くなりになったようです。
警察の検視の結果、脳溢血だったようです。医師が 『これは痛み、苦しみを感じずにお亡くなりになられたと思います』 と仰せられたそうです。
三井さんの70年来の友人という方からお聞きしたのですが、 「三井さんは毎日ヨガと瞑想をされていた様で良く望月先生が仰っていた 『瞑想しながら亡くなるのが理想』 と言うお言葉の様に、三井さんは毎日、瞑想をされていたからこの様にお亡くなりになられたんだと思う」 と仰っておりました。そして、
「お顔も綺麗で眠っている様で、本当、素晴らしいお亡くなりのお姿でした。
望月先生のヨガ、瞑想の賜物ですね。先駆者の三井さんに敬服するしかございません。 三井さんも望月先生と出会え、望月先生のヨガの世界を十分体現し良かったと思います。」
このお話を伺っていると、三井さんは周りにご迷惑をかけることもなく、ひとり三井さんらしいあざやかな生き方をされたように思います。このご報告を読んでいて、私は涙が止まりませんでした。
今、私は、涙を流しながら、心の金庫を開けて、三井さんとの思い出を書いています。三井さんとの出会いは、約20年以上前になります。新宿区市ヶ谷の加賀町の、トモノホール(御木本パール社長故御木本澄子さんのピアノ教室)でした。
三井さんの長女の弘世史子さんの紹介でした。母親思いの史子さんは、母様の体調が悪くてどうしょうもなく苦しんでいる姿を見て、何とかしてあげたいと思われたのでしょう。三井さんは、娘さんに強引に引っぱられて、足取り重くやってきたのでした。ご自宅から会場が近いことも幸いしました。三井さんは、お顔が広いので、昔からいくつもの気功教室やヨガ教室に参加されていましたので、今さらヨガ教室と思っていたかもしれません。
ところが三井さんは、参加して直ぐ、 「これだ!」 と思われたそうです。かんたんなポーズをやっただけなのに、今まで感じたことのない、深い、不思議なリラックスを体感したのでした。そして帰るときは、ルンルン気分でスキップして帰ったそうです。その時の気分がいまだに忘れられないと言っていました。
三井さんは、亡くなられた長女の史子さんのお話に及ぶと、必ず 「史子は、現世では私の子供でしたが、前世は私の先生でした」 というのが口癖になっていました。
史子さんも不思議なご縁のある方で、私の母が肺腺癌で亡くなる前に、私がお昼過ぎに富士宮へ出発する日でした。その日の午前中に、史子さんの治療の予約があり、お昼の私のお弁当を作って持ってきてくれました。そのお弁当を開けて、思わず笑みが浮かびました。ウズラの卵のようなおにぎりが、十個並んでいたからでした。きっと、おにぎりなど握ったことのないお姫さまが、心を込めて作ってくれたようでした。