「竹富島で日本人のルーツを考える」の感想文を紹介

 「竹富島で日本人のルーツを考える」 の感想文を紹介 1


 過去に起きたことを歴史家や考古学者たちは文献や遺跡などで調べます。歴史を知るとは、文献を調べたり、遺跡の発掘調査をすることだけではありません。
私たちは、過去の出来事は、自分の心の外に在って、自分とは直接関係ないと思っています。しかし歴史を知るとは、過ぎ去ってもう無くなってしまった出来事を、もう一度、心に生き生きと蘇らせることです。それにはイメージ脳(右脳)を使うことです。左脳では文献や遺跡の調査をしますが、右脳ではその時代の暮らしを生き生きとイメージし、自分とは何かを発見することです。

 去年、アイルランドのニューグレンジ遺跡で、古代が現代によみがえった体験を思い出しました。
 5,000千年前の羨道墳に入った時のこと。暗く狭い19メートルのトンネルのどん詰まりで、突然真っ暗闇になりました。すると入り口から光が、スルスルと生き物のように伸びてきました。その瞬間、最初の冬至の陽光が、光(命)と闇(死)を象徴し、冬至を神聖視した古代人の心を理解できたのです。
 もし左脳で、陽光をビームにした冬至の真似ごとに過ぎないではないかと考えたら、古代人の心は分かりません。右脳で考えて肌で感じるからこそ、古代が今に現れて古代人の心が理解できるのです。

 もしあなたが歴史や遺跡で、どきどき、わくわく感じたら、あなたは歴史を知ったことになるのです。その時、歴史は私たちが住む現代に関連していることを知り、「すべての歴史は現代史である」 とイタリアの哲学者・歴史家クローチェが述べた言葉が理解できるのです。

 一番ダメなのは、今スマホという便利なものがありますので、直ぐに知りたいことをネットで検索して見つけ、知った積もりになって自分で考えない人です。こういう人の考え方はみんな似通っています。将来AI(人工知能)にコントロールされるかもしれません。確かにネットで検索すれば知識はどんどん増えますが、いくら知識だけを詰め込んでも、AIにはかないません。

 今回は、多くの方々が縄文に関心があるのか、短い日にちで沢山の感想文が寄せられました。それらの感想文をこれから紹介してゆくことにします。

 最初に、竹富島合宿と西表島ツアーを企画してくださったUさんのメールをご紹介します。


Uさんの感想
「西表島のエネルギーや、竹富島、白保に対して感じる惹きつけられる感じがどこからくるのか不思議でした。

先生のエッセイに答えが見つかったと思いました。
あの写真を撮った時のことは忘れられません。周りに人がいる中、先生だけが、スローモーションのようにゆっくり浮き出ているように見えて、その動きが人間とは思えない感じでした。
よくテレビで見る映像で、大自然の中から、突然大型動物がゆっくりと現れる感じと似ていました。

2年前に下見したクーラの滝とは違いました。クーラの滝はもっと穏やかで、精霊がキラキラしながら遊んでいるような場所だったのですが、荒々しいクーラの滝も忘れられません。」

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