「竹富島で日本人のルーツを考える」 の感想文を紹介 4
Kさんの感想
「エッセイのご連絡をどうもありがとうございました。
ラオスのファフェン遺跡で発見された人骨のDNAが縄文人に近い、というお話
ラオスというのは細長い国なので、場所はどこかと検索したところ、タイとベトナムに挟まれた地域でした。
現在は国境がありますが、タイ側は平地なので、いくらでも移動はできたでしょうし、
山を登り海側にも抜けられそうな場所で大変興味深いです。」
Kさんは、漆研究家で博士号を持ち、前にカンボジアで漆の研究をしていましたので、興味があって、私は次のようなメールを出しました。
ラオスの向かいのタイの細長い列島の真ん中辺り、海を隔てて向かいに、タイの少数民族マニ族が、外部の連絡を絶って今も住んでいます。そのDNAがホアビニアンのDNAで、縄文人と同じです。
私は縄文人のDNAを知って、三木成夫の直感を思い出しました。(三木成夫は解剖学者で、著書に 『内臓とこころ』 『人類の生命記憶』 などがあり、私のエッセイにたびたび出てきました) その中の一つのエッセイを添付します。三木の内臓からくる直感はすごいですね。彼は、自分の出自を南方から来たと直感していたのです。
「その 『生命記憶の回想』 は、たとえば三木が、まだ輸入品が珍しいときに、デパートの地下の果物売り場で椰子の実を買い、硬い殻をノコギリとキリで二つ穴を開けて、ストローで夢遊病者のように、中の液体を吸ったときのこと。
『なんだ、こりゃあ』 と言って、三木は、『それはまるで他人の味ではなく、懐かしい味であった』 と述べています。そして、次の瞬間、『いったい、おれの祖先は………ポリネシアか……』 とはらわたからでた叫びになったそうです。」
また私には島崎藤村の 「椰子の実」の詩は、南方の縄文人の故郷を懐かしんでいるように感じられます。
Kさんからの返信
「マニ族の住んでいるという地域はマレーシアの国境近くのタイ南の外れですね。
地理的にも、ソーマとナーガの伝説にあるインド文化がクメール人に伝わったとされる
カンボジアのシアヌークヴィルの対岸にあたり、大変面白いなと思いました。
三木先生が、ヤシの実の汁を飲んで自分の中のポリネシアの血が騒いだ、中公新書の「胎児の世界」の冒頭の方でしたね。
望月先生が以前、エッセイに書かれていたのも覚えていますが、頭の中に椰子の木と南の島が浮かぶような話でした。
「胎児の世界」は芸大の一年生の時、三木先生の生物の授業の教科書として買いましたが、人にあげては買って、を何度か繰り返し、現在、自分の手持ちがないことに気付き、代わりに本棚にあった「現代思想」三木成夫特集(1994年)を見てみました。
この中で、永沢哲、という宗教学者の書いた、三木先生は「水の人」だという以下の論考がありました。
三木成夫は、死の直前に行われたインタビューのなかで、天理教の教祖、中山みきの「お筆先」を胎生学の観点から解剖するという、興味深い試みをおこなっている。その中でも、特にわたしたちの感心を引くのは、地球の生き物の生命記憶にとって水が持っている根源性を強調するとともに、すべてに財産を放棄せよ、という中山みきの教えが、私有財産を持たず、放浪採集していた人類の「黄金時代」の記憶に直結している、と指摘していることだ。
この言葉には、時間の多様性をめぐる彼の考え方がよくあらわれているようにわたしたちには思われる。
インドシナ半島から日本に来た縄文人の祖先も水の向こうからやってきた。
ココナッツジュースも水の一種、と考えると、面白いですね。」