竹富島で日本人のルーツを考える

存在するという純粋な感覚 5


言葉を手放し、右脳から宇宙意識へ

 以上のように考えてくると、東洋哲学やヨーガや仏教の哲人たちが共通して言っている意味がわかってきたようです。
 人間は言葉の中に生きていています。言葉に意味づけられて、自分の世界が言葉とし現れているのです。その言葉が、同時に私たちを制限して、世界の可能性をも閉じ込めてしまうのです。
 そのため東洋では、文字に頼らずに沈黙のうちに悟りを掴むということをしてきました。言葉の限界までたどり着いたら、言葉を手放します。そして思考も捨てます。すべてを捨てたときに、観察する自分と観察される対象が溶け合い、ただ全体として在ることが残ります。これが意識の変容であるというのです。
 意識の変容が起きると、世界を理解するということではなく、世界が私として現れてくるのです。
 そこで、皆さんや私が体験した存在するという純粋な感覚は、世界が私として現れてきた純粋経験といえるのかもしれません。

 一流の文学者たちは、このことをよく知っていたようです。田村隆一の詩集 『言葉のない世界』 や、作家中島敦の短編小説 『文字禍』 や、詩人谷川俊太朗の 「詩とは 『私と海の間』 にあるものなのだ。言葉はむしろその詩を妨げるノイズにほかならない。真の詩は沈黙の中にこそある」 という谷川詩学の根幹は、中島敦の文字は物事の本質ではないという見方と共通したものを感じます。

 また心理学者のジュリアン・ジェインズは、古代では、右脳が神の声として命令を下して、左脳がそれに従っていたが、文字が発明されて神の声は沈黙し、認識、判断、行動は意識(言語)に委ねられたと主張しています。(『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』)
 このことを証明するような脳科学者がいます。ジル・ボルト・テイラーです。彼女は脳卒中を起こして左脳を壊し、言葉のない世界を体験したことを書いています。(『奇跡の脳』) 左脳が壊れた為に、絶え間ないおしゃべりから解放されたことや、右脳だけで生活したらすべてと一体感を感じて、涅槃(ニルウ゛ァーナ)の境地に入ったようだと述べています。
 彼女は左脳がなければ生きていけませんが、一方右脳は私たちを全人類の意識、さらには宇宙の広大で開放的な意識と結びつけてくれるといっています。
 そこで右脳を強化する方法があります。エッセイの 「超越的な感覚で時間を伸ばし、思いを実現させる方法」 の12ページに書いてありますので、興味のある方はお読みくだされば幸いです。


2025年4月30日    望月 勇


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