量子論を身近に感じる

量子論を身近に感じる 5


パラレルワールドへ旅立つ

 現在は、コロナ禍にあり、海外へ行き来すると、隔離や14日間の自粛待機を余儀なくされます。その時間を使って、私はパラレルワールドへ旅立ってみました。

 目を閉じると、私がもう一度行ってみたい風景がでてきました。それは、20代に行ったイスラエルのキブツの生活でした。日本やヨーロッパと違って、まるっきり異なった世界でした。でも、どこか懐かしい感じがしたのです。

 春夏秋冬があり、冬には雪が降り積もり、春には桜が咲き、野原にはシクラメンの可憐な花が咲きました。その中で、午前中は肉体労働をして、午後は自由な時間がありました。そこで、よく野原でカメレオンを捕まえて、部屋の中でペットにして眺めました。

 私は、意識して、20代の過去へ戻り、二月の下旬に、キブツに深い霧が発生した時のことを思い浮かべました。周囲の風景は忽然と消え失せ、そのため、太陽は満月のように、銀色の冷たい、異様な光をたたえて見えました。実際、これは私が見た現実の光景でした。
 私は、まぶたの裏で、銀色の満月のような、異様な太陽を見ていました。その銀色の太陽には、おびただしい闇が押し込められているような気がしました。その漆黒の闇は、イスラエルの沙漠の光を圧倒的な力で包み込んでいるように見えました。
 その時、ふと、ロンドンでシャガールの展覧会の絵を見た時のことを思い出しました。そして、シャガールの絵の明るい色彩の周りに、びっしりと闇がへばりついている世界は、ブラックホールの世界ではないかと思われました。きっとこのような世界が、どこかにパラレルワールドとして存在しているのでしょうか。
 また、沙漠の砂に座って、ふと、左を見ると、ぽっかりと黒い穴のようなものが見えました。バスケットボール大の黒い穴の中は、漆黒の闇でした。実際、沙漠を一人で歩いていると、動きのない、音もない世界で、幻覚を見ることがありました。雲一つない青い空、コバルトブルーの蒼穹が、巨大な青い瞳となって、じっとこちらを見ているという錯覚に陥ったこともありました。
 私は興味を持って、左手にぽっかりと空いた黒い穴の中を覗き込もうとしました。これ以上近づくと、すっぽりと吸い込まれそうになるので、急いで穴から離れました。こんなパラレルワールドも、あるのかもしれません。

 また、20代に、インドを放浪していた時のある出来事ことを思い出しました。
 それは、日本人旅行者が持っていた一冊の本から始まりました。ジョージ・アダムスキーという著者が書いた本でした。著者は、宇宙人に会い、空飛ぶ円盤にも乗ったという人物で、その本を持っていた人は、女子学生風の、いかにも夢見る乙女という女性でした。
 私は、時間潰しになると思い、その本を見せてもらいました。空飛ぶ円盤よりも、そこに記された宇宙人から教えてもらったという、宇宙哲学が面白かったので興味を示しました。すると、その人は、「もしよかったらどうぞ、興味がなかったら捨てて結構です」 というのでその本をもらい受けました。

 その本の中で、人間の60兆個ある細胞の一つ一つに意識があり、その細胞同士が協力して人体を作っているという宇宙哲学は、今思うと最新医学と同じような考え方でした。
 彼は、まだ量子などという言葉がない時に、人体を構成している原子に過去世が記憶され、個々の原子レベルで転生するといっていました。
 今思えば、量子論や最新化科学でようやくわかってきた概念―それぞれの量子に情報が不随するということを、すでに理解していたという驚きです。

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